vendredi 18 mai 2007

若い世代との接触



私の関係している大学で大学院の学生に向け、研究をどのようにやってきたのかというお話をするようにとの依頼があった。私が少し早めの退職をしてパリに学ぶことにしたことを伝えていたからである。最終講義という意味合いになる。数年前までは今にしか生きていなかったので、現在と将来しか見ていなかった。このお話を受けて、これまでを振り返ってみると、よくもこれだけの長い間この道に携わってきたな、とまず驚いた。さらに、そこから生まれたものを思い返してみると、やはり愕然とする。また、もしあの時に何も見つかっていなければ、ここまで来ることができなかったな、という出来事もある。なぜここにいるのかが不思議にさえ思える危うい歩みであった。

進化生物学者の Ernst Mayr は、生物学を Functional biology と Evolutionary biology に分けて考えている。 前者は、生物現象がどのようにして起こるのかを解析するもので、科学者は "How?" という問題提起をするが、後者においては生物現象がどうしてそうなるのか、その意味を問う "Why?" という疑問に答えようとする。この話をしながら、私はこれまで How を問う研究者であり、そのことに少し飽いてきたのではないか。それは自分の精神のごく一部しか動員されていないように感じたからである。これからは "Why?" という問に答えようとする精神の状態、自らのすべてを立ち上げて立ち向かうような状態を保ちたいという思いが湧いていた。

それは自分の中では次の出来事とも比較できるものである。フランス語の試験に日本では仏検という試験があり、フランスには国民教育省の試験、DELF-DALFがある。DALFーC1を受けた時に私の頭の中で起こっていたことが、まさに自分のすべてを使うという運動であった。それは仏検を受けた時に感じることのできなかったものであり、終わってみると快感に近いものをもたらしてくれた。仏検では頭のごく一部しか活性化しないような問題が出される。文字通り、小手先の出来事で、自分が動員されないのだ。これからは自分のすべてを活性化できるようなところに身を置きたいという想いが芽生えていたということになるのだろうか。

1時間半ほどの会が終わり、声をかけていただいた先生の部屋で15人ほどの学生さんとざっくばらんに話をする。研究を実際に動かす原動力は、やはり若い力が担わなければならないが、これまでの経験を語ったり、「意味」 を探る思索を続け、その成果を世に問うということはわれわれでなければできないだろう。これからの歩みがそこに何らかの漣を立てることができれば素晴らしいのではないか、ということを確認していた。