vendredi 7 septembre 2007

いろいろあって、性格判断



海外に出す手紙があるので7-8分歩いて郵便局まで行っていたが (日本やアメリカへの普通郵便の場合、0.85 Eだったと思う)、パリ市内であれば料金が決まっているので、すぐ近くの Presse で切手 (0.54 E) を買って、横のポストに入れれば簡単に済んでしまうことがわかる。あるいは、以前に通っていた正統な道ではないところに近道を見つける。こんなちょっとしたことが、次第にこの街に溶け込んでいっているような気にさせてくれる。

近くのブティックでインターネット接続の手続をしようとしたところ、コンピュータ上にまだ私の電話番号が出てこないという。2-3日前にフランス・テレコムに連絡して、今朝も日本に電話したばかりなのだが、なぜかまだだという。午後、どうしてもつなげたくなり別のブティックへ。やはり、まだ登録されていないようだ。係りの人がさらに名前と住所を照らし合わせてみてところ、番号はすでに登録されているが数字が一つだけ違っていることが判明。住所のこともあるので、私が間違っているとも思いたくないので、その場でフランス・テレコムに電話する。長いやり取りのためか、係りの人が切れそうになっている。そしてわかったことは、今回は私が誤っていたことだ。番号を貰ってから携帯からかけて鳴ることを確かめてあったのだが、あれは夢の中だったのだろうか。そういうこともあるかもしれない。信じたくないが、どうもそうらしい。とにかく、ネットに接続するためのキットは手に入れることができた。使えるようになるには1週間ほどかかるという。こういう間違いが2度も続くと、もう一度くらいは何かありそうだ。

街のサンドイッチ屋さんでお昼を買い、外に坐って食べていると鳩が寄ってくる。中に足の悪い鳩が混じっている。その鳩に食べさせようとサンドイッチの端を投げてやるが、すぐにすばしっこいすずめが来て持っていってしまう。彼 (彼女) 一人になった時にもう一度投げてやると今度は食べてくれた。それから私のもとを離れなくなった ・・・ 通りかかった子供が乱暴に追い払うまで。

ところで昨日銀行で性格診断を受けている時に考えていたことを思い出した。日本の状況は分からないのだが、以下は日本ではされていないという前提での推測になる (日本の状況に詳しい方のご教示をお待ちしております)。そのテストを受けながら、まず日本ではこういうやり方はしないだろう、と直感的に思った。自分の性格を銀行の人に調べてもらう義理などない、と考えるのではないか、あるいは人によっては何と失礼な、と思う人が多いのではないかと考えたからだ。私は全くそういうところがない。ある程度の科学的根拠を基にしたテストだと思うので、どのような結果になるのかむしろ面白がっていたところがある。おそらく、こちらの人にもそういうタイプが多いということなのだろうか。自分をどこか外において眺めるというところがあり、その内容が良かろうが悪かろうが、まず受け入れてから先を考えるというところがあるのではないか。こちらでは、先のことは兎も角、まず科学的な試みをしてみる、という精神が自然に植え付けられているのではないかという想像をしていた。日本の場合は、行員が何気ない話の中で、相手に気を使いながらどういうタイプの人間なのかを探ることはあるような気もするが、どの程度意識的にされているのか、興味が湧いていた。

この経験は、アメリカから帰ってきた時のことを思い出させてくれた。その時のことを端的に言ってしまうと、日本に帰ると頭の中が科学的ではなくなる、科学的思考をしなくても生きていける (ひょっとすると、そちらの方がうまくやって行けるかも知れない) ということを感じ、楽になったのだ。アメリカにいる時には意識していなかったが、生活の底に 「西洋の理性」 のようなものが流れていたのではないか、という思いに至った。したがって、育ちがそうではないと長くいると疲れが出てくるような気がしたことも事実だ。彼らの頭の中がどうなっているのかわからないが、想像するに彼らが科学をする場合同じ平面を少しだけ横に行くだけでよいのだが、われわれは飛んで別の次元に行かなければ科学ができないのではないか、あるいは私の場合、常にその別の次元にいようとしていたのではないかという想いが湧いていた。いずれ彼らと話し合ってみたい点である。

先ほどの性格判断に戻ると、私自身はお金に対しては保守的で、とにかく動かすのが嫌いな方である。事実、日本では何を考えていたのだろうかというくらいに (実は考えていなかったのだが) 何もしていなかった。私は défensif な人間だと思っていた。しかし、テストの結果は、保守的などではなく、offensif な性格と出た。どういうことか聞いてみると、offensif な人は少々の損が出てもそれが増えるまで待つところがあり、プラスとマイナスの幅が大きくても余り気にしないタイプということになるらしい。私がそれほどの offensif な人間とは思えないが、ある程度の根拠があるテストだろうから自らを考え直してみなければならない。あるいは、海外に出ると前面に出てくる性格が変わるということかもしれない。聞いたところでは、offensif という人の中にはプラス・マイナスで20-30%の幅を楽しむ人もいるらしい。確かに、これほどの幅があると心躍るだろう、などと考えるところは offensif の欠片くらいはあるのかもしれない。いずれにしても、いろいろなことを考えさせてくれた銀行訪問であった。

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今日は朝からルチアノ・パヴァロッティの歌 (フィギャースケートの荒川さんで有名になったプッチーニのトゥーランドットなど) がよく流れているな、と思っていたら、彼が膵臓がんで亡くなったことを知る。享年71。ニューヨーク時代にはよくメットやテレビで彼に触れていた。オペラの醍醐味を感じた一つの理由は彼にあったかもしれない。非常に開けっぴろげに見える人柄だが、極めて繊細でどこかに悲しみを湛えているようにも見える。強い印象を残した歌手であった。

オペラの関連でもうひとつ。こちらに来ると日本ではなかなか聞く気にならなかったオペラが自然に入ってくることに気付いている。学生の身であることを考えながら、ニューヨーク時代を少しだけ再現ができないか、などと考え始めている。



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