jeudi 28 février 2008

知のあり方


Pr. Anne Fagot-Largeault
(Collège de France)


あるクールを聞きながら、知のあり方などということを考えていた。海外に出てみると、とにかく人間の可能性の幅が広いことに驚かされる。それは20年以上前のアメリカでの生活の一つの結論でもあったが、今その経験を別の角度から広め深めているかのように感じている。少なくとも、そうありたいと願っていることだけは間違いがない。

今この世にある人だけではなく、歴史に少しでも足を踏み入れただけで、これほどまでにいろいろな頭の使い方があるというダイナミズムに感心したり、時にはそれぞれの微妙な差を辿り直さなければならなくなったりする。どんなところに力を入れてものを観るのか、本当に人さまざまである。私の営みには単にいろいろな事実を知るという喜びだけではなく、それ以上に人間というものの凄さを体感しながらその思考の跡を自らも歩んでみるという醍醐味が溢れているような気がする。そこに尽きることのない魅力がある。

進化の光の下でものを観なければ生物の真の理解はできないという言葉がある。その生物という言葉を人間に置き換えてみると、歴史の視点を持たなければ人間の真の理解はできないということになる。そこには真理があると考えたい。そしてこのことを本当に理解しているかどうかで、その人間やその人間の属する社会の価値が決まってくるような気がしている。


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今日の休憩時間のこと。隣の教室から男子学生が飛び出してきて、まずゴミ箱を、それから廊下に備え付けられていた消火器を思いっきり蹴り上げ、両手を挙げ大きな叫び声を発しながら階段を駆け下りていくという出来事があった。事の詳細はわからない。


今日の講義時間中には大学事務の方が数人 (消防署の人?) を連れて入ってきた。木の枠に歪んだガラスの入った窓の閉まり具合などをチェックし、取っ手の辺りの写真を撮っていたようだが、事の詳細はわからない。



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