mardi 2 octobre 2007

Café Philo を覗く



昨日の話と少しはつながるだろうか。先週末、あるカフェ・フィロに顔を出してみた。名前は以前から聞いたことがあるが、どのようなものかを知るためである。予定時間の少し前に会場のカフェの奥のスペースに辿り着く。すでに20人ほどの人が坐って待っている。ほとんど女性ですべて中年以上の方々である。この日のテーマは、われわれの欲望 (nos désirs) は現実 (la réalité) によって満たされるか?であった。ディスカッション・リーダーのような方が2人いて、それぞれが5分程度のイントロをしてから、参加者に意見を請うというやり方であった。

もちろんすべてを理解するところまでは行かないのだが、ある印象を残した。参加者が話を始めると実に矍鑠 (かくしゃく) となり、自らの考えをはっきりとした言葉で発表する。抽象的な概念をごく自然に操るのである。このことにある意味で驚き、感心していた。彼らが 「哲学お宅」 なのか、普通のフランス人を代表しているのかはわからないが、日本ではそうないかないのではないかという思いがあったからだ。頭の枠組みがわれわれと明らかに違うことを実感する。彼らの枠組みで哲学的な話ができる日本人 (哲学者でも) は極めて少ないのではないかと率直に思っていた。しかし、これは以前にも触れたヴァレリーによるヨーロッパ精神の分析を思い出すと、その一つの発露にしか過ぎないのかもしれない。

欲望はあくまでも未来に関するもので、まだそこにはないものに向かう性質があり、その意味では projet (私が以前に感じたことのある言葉) に近いだろう。それをこの日のテーマになっている現実と絡めると直ちにパラドックスに陥ってしまうという指摘があった。

話の中にスピノザがよく出てきていたが、先日彼について読んでいたので、欲望は否定すべきものではなく、われわれを突き動かすモーター (le moteur) であり、存在を十全にする (la pléinitude de l'être) ところに導くものであるという主張には改めて同意していた。最後に次のテーマを参加者に募っていた。出された中では例えば、

 Etre, c'est appartenir. (存在すること、それは帰属すること)
 A qoui sert d'aimer ? (愛することは何になる?)
 Qu'est-ce qui nous relie ? (われわれを結び付けているものは?)

などが耳に入った。挙手により、最初のテーマに決まったようだ。このようなカフェはパリのいろいろなところで開かれていると思うが、その場所柄や参加者の構成によって雰囲気はかなり違ったものになりうるのではないかという印象を持った。いずれにしてもいろいろなことを考えさせてくれた1時間半であった。






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