samedi 23 mai 2015

口頭試問を終えて

23 mai 2008

昨日の夜から始めたが、今回は到底終りそうにないので諦めることにした。今日大学に向かう時、そういう状態に呆れたのか、自己嫌悪が襲ってきた。大学近くのカフェで準備をしようとするも、全くその気にならず。

今日の予定で分かっていたのは、時間(2時から)と教室だけで、どのようにやるのかはわからなかった。他の学生もよくわからない状態だが、特に気にしている様子もない。この辺りは日本と違うところだろう。あれこれ構われないところがよい。これからの方もいると思われるので、今日の様子を紹介してみたい。

教室に行くと、扉に名前を書くための紙が張られている。よく見てみると、それが3枚ある。つまり、一つの教室で3人の先生が同時進行で口頭試問をやるという設定である。流石に一人の先生は別の部屋に移動したが、2つの試問は平行して行われた。私の順番は後ろの方で、始ったのが4時半くらい。それまで待っている連中と雑談をして時間を潰す。今日の写真は、部屋から出てきた仲間にその様子を聞き、対策を練っている同期の連中である。さらに偶然の成せる業か、現代哲学のDorlin先生がこちらに向かってくる瞬間でもあった。

この写真には写っていないが、ベルギーからの留学生がいて話を聞いた。彼の場合、社会学を3年やったが、科学という面が強調されているところに違和感を抱き、哲学へと移ってきたとのこと。あくまでも社会学を哲学するという立場のようだ。マスター2年目はシカゴ大学に移りたいという。ソルボンヌでは指導教授の合意があれば、M2を他の大学でできるようだ。これから4ヶ月の夏休みに何をするのか聞いてみたところ、1ヵ月半しかないという。母国の大学とドゥーブルでやっていて、夏にはブリュッセルでクールを取るようだ。先日のドイツからの学生もそうだった。ダイナミックに学生が動いている様子を垣間見ることができる。

こちらも写真には写っていないが、イタリアからの留学生がいた。私などは何とか締め切りに間に合わせようとして不眠不休で仕上げたが、締め切りが今週月曜のメモワールを今日提出するのだという。そんなこと許されるのか聞いてみたところ、「だって終らないんだから仕方ないでしょう」 と真面目な顔。確かに慌ててスペルチェックもしないで出すよりは、自分の満足のいくところまでやって出すという落ち着いた姿勢でなければ駄目だという気もしてくる。



試験に戻る。時間が来て部屋に入ると、机の上に問題が書かれた御神籤のような紙片が十数枚無造作の置いてある。その中から一つ選ぶように言われる。2人がエクスポゼの準備をし、1人が先生と試問を受けるようになっている。問題を選び、2人の試問が終るまでが準備の時間。大体30-40分くらいだった。準備の時、2ヶ所から声が聞こえてくるので集中できない。しかも記憶を掬い上げる笊の目が今や5センチくらいになっていて、求めているものを捕まえるのは至難の業。

"Je vous écoute"で始ったエクスポゼは10分くらいだっただろうか。何とか終えることができ、質疑応答になる。先生の些細に見えるが本質を突く鋭い質問を聞いた時、出された問題の意味をよく理解していないことに気付く。何やらしゃべっているのだが、どこかずれている。よろしくないパターンだった。終ると解放感と言うよりは、体の中に重苦しい熱(疲労感か?)を感じる。

帰りにカフェに寄り、ゆっくりとこれまでを振り返ってみる。昨年までは私の中の半分以上には科学が残っていて、こちらの哲学の内容を入れるのに苦労した。年が明け前期が終るまではその状態が続いた。後期に入ってからはかなりの部分が哲学に向かうようになってきたが、まだ完全には入り切っていない。これまで何度も経験しているやる気が出てこないという状態をどう説明すればよいのだろうか。

一つには、まだどこかに旅行者という気分が残っていて、その甘えの反映があるだろう。まだ完全に学生としての生活になっていないということだろうか。言い換えると、日本でのアイデンティティを引き摺ったままやっていて、全くのゼロから新たな領域に入るのだと自分に言い聞かすところまでまだ行っていなかったのではないか。とにかく、暗中模索の1年が終わり、これから少しずつ新しいやり方が分かってくることを願うばかりである。

あと1週間ほどで、もう一つの口頭試問が巡ってくる。






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