mardi 5 mai 2015

ザビエル・ビシャー Xavier Bichat

5 mai 2008
 

マリー・フランソワ・ザビエル・ビシャー
(14 novembre 1771 - 22 juillet 1802)


この方と今読んでいる本の中で出会った。

ルイ15世の統治下に生れる。リヨンでアントワーヌ・プティ(Antoine Petit)の下で医学の勉強を始める。しかし、フランス革命が始まり、ジロンド派を受け入れたリヨンは1793年に攻囲され大虐殺が行われる。彼はパリで医学の勉強を終える。


L'Hôtel-Dieu

1800 年には29歳の若さでパリ市病院(l'Hôtel-Dieu)の医師に任命される。この間、膨大な解剖学の研究を発表。そのため健康を害し(結核性髄膜炎か)、病院の階段から落ちて亡くなる。わずか30歳であった。現在、ペール・ラシェーズに眠っている。彼の仕事は、死体解剖により生理機能を明らかにしようとするもので、特に組織の概念を打ち立てた。顕微鏡は用いなかったものの組織学の祖と呼ばれている。また生物現象を物理学や統計学を持ち込んで説明しよ うとする考えや集団における平均という考え方には猛烈に敵意を示した。彼の著作はショーペンハウアーも読んでいたようで言及されている。ビシャーの哲学を表す言葉として、次のものが有名である。

« La vie est l'ensemble des fonctions qui résistent à la mort »
「生命とは死に抗するすべての機能である」

彼の死後、Jean-Nicolas Corvisartはナポレオン・ボナパルトに次のような手紙を書き送っている。

« Personne en si peu de temps n'a fait autant de choses et si bien »
「これほどの短い間に、多くの仕事をこれほど立派に成し遂げた者はいない」

また、ギュスターヴ・フローベールは次のような賛辞を送っている。

« La grande école médicale française est sortie du tablier de Bichat »
「偉大なフランス医学はビシャーの仕事から生れたものである」

エッフェル塔には72賢人の名前が記されているが、その中に彼の名前が含まれている。
興味深いのでご覧いただきたい(soixante-douze savants)。





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