dimanche 21 juin 2015

インダス文明とは

21 juin 2008

宇宙の始まり、生命の始まり、人類の始まり、文明の始まりなど、始まりにはいつも興味を惹かれ、想像を掻き立てる何かがある。昨日のインド展の余韻なのか、新しく届いたアメリカの科学誌Scienceにあったインダス文明の特集に目が行った。この文明に対する見方が大きく変わろうとしているようだ。

その成果を簡単に言ってしまうと、こうなるだろう。インダス文明は世界三大文明(黄河文明を入れると四大になる)には数えられていたものの、これまでメソポタミア文明やエジプト文明の影に隠れていて、そちらから流れてきた人によって作られたものではないかとまで言われていた。しかし、調べてみると高度の技術を持ち、周辺との交易も積極的に行っていたことがわかってきた。紀元前3000年と言うから、今から5000年前のことである。

インダス文明は1924年代に発見された。2002年にインドとパキスタンの緊張した地域での発掘により、それまで西の文明の従姉妹文明程度に考えられていたのが、5000年前に当時のグローバリゼーションを積極的に展開する文明だったことが明らかになりつつある。それまでの見方では、インダスの人は閉じられた階級のない社会に暮らす均一な人たちとされていたのが、アラビア海からヒマラヤ山脈まで広がる地域に暮らすアフガニスタンやイラクとも取引をするダイナミック な人たちだったようだ。

最初に発見されたハラッパー(Harappa:上の地図を参照のこと)とモヘンジョダロ(Mohenjo Daro)の町は、それぞれこれまで考えられていたよりも1000年も古く、3倍も広いものであることが明らかにされた。モヘンジョダロには200平方ヘ クタールの場所に2万から4万人が暮らしていたとされ、ハラッパーもそれより少し小さいに過ぎない。これはナイルのメンフィスと変わらない規模になる。さ らに、道路、家屋、上下水道の整備は、ローマ時代になるまでは比肩するがないほどのものだった。そこでは泥の安物のレンガではなく、火を入れた高価なもの を使っていたという。

これまでのところ、政治形態や信仰の様子を窺い知るものが、西のエジプト、メソポタミア文明に比して極めて少ないよ うである。埋葬品もなく、神殿や宮殿の跡も見つかっていない。文化的な顔がないという。そのため、紀元前2600年頃にメソポタミアから来た人たちがヒエ ラルキーのない社会を作り、紀元前1800年に突如消滅した文明だと20世紀中頃には考えられていた。そして、この地域の政治状況がそれ以上の発掘を許さ なかったようだ。

1970年代に入り、フランス人率いるチームがメルヘガル(Mehrgarh)は紀元前7000年から存在することを明らかにし、インダス文明の先駆けになる場所と見なされている。さらに、タール(Thar)砂漠にもインダス文明が起こる数千年前から人が住んでいた数百の痕跡が残っていて、これまでの説が覆されつつある。

最近のハラッパー発掘によると、その起源は紀元前3700年まで遡ることができ、紀元前3300年までには格子状の町並みの10平方ヘクタールに及ぶ村落になっていた。交易も盛んに行われていたようだ。またファルマナ(Farmana)には高度な農村ができていた。



インダス文明が発見された時にはモヘンジョダロとハラッパーだけだったが、その後少なくとも5つの都市と他にもいくつか認められている。例えば、アラビア海に近いドーラビーラ(Dholavira)は1000年にも亘って栄え、そこには記念碑や美しくも巨大な建築、スタジアムなどがあり、ヒエラルキーの存在が示唆される。また、水の管理も効果的にされていた様子が伺われる。ハラッパーでは貢物と思われる華麗な埋葬品や棺桶が発見されている。このような装飾品は他の場所でも見つかっており、エリートの存在を思わせるが、エジプトのファラオのような巨大な権力とはなっていなかったと推定している。

彼らが死後の世界をどのように見ていたのか。神殿などが見られないところから信仰の様子を推定できない。昨年、表にはヨガの姿勢の像があり、裏に"proto-Shiva"と書かれている紋章が見つかっているが、それが宗教的な意味を持つものか結論は出ていない。今後の課題はインダスの日常生活、例えば何を崇拝していたのか、交易はどのようにやっていたのか、さらには政治形態や気候の変動などを明らかにすることだという。
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実験をやって確かめることのできない学問、考古学。科学と言えるかどうかの議論もある。また、どれだけ役に立っているのかという問いを出す人もいるだろう。今回の記事を読んで、世界の見方が少し変わってきているのに気付く。そこに微かな満たされたものを感じる。ひょっとすると、われわれ(少なくとも私)は日々新しい世界を覗くためにこの世を歩んでいるのかもしれない。そうだとすれば、新しいものや異なるものの見方を提供する学問はわれわれにとって必須のものになる。生きるために不可欠なもののはずである。しかし現実はどうだろうか。例えば哲学の状況を突いた立花隆氏の報告を 待つまでもなく、惨憺たる有様だ。しかし考えてみれば、大学が学問で商売をするようになった段階で、新しい「物」にしか目が行かない事態に立ち至るのは当然の成り行きだったようにも見える。さらに深刻なのは、危機にある側が自らの学問の意味付けを十分にできていないように見えることだ。

今日は太古のインダスから日本の今に辿り着いてしまった。









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