vendredi 17 juillet 2015

ヴァカンスの散策?、あるいは日米年金比較

17 juillet 2008

先日、税金のことでアメリカ大使館まで足を伸ばした。細かい話になるが、私はアメリカで5年ほど働いていたので教師年金をもらっている。保険の支払いは研究所がやってくれていた。日本に帰ってきてしばらくしてからの40代から支給をお願いしたので、もう長い付き合いである。当然のことながら、遅く始めた方が支給額はよいのだが、当時はいつまで生きるのかわからないとでも考えていたのかもしれない。

日本にいる時には、日米の協定があり税金は取られなかった。 しかしフランスとアメリカとの協定はすでに廃止されているので、こちらに移ってきてから税金が引かれている。何とそれに気付いたのがつい最近といういつものお粗末さ。本来であれば4月に tax return の手続をしなければならないのだが、アメリカに問い合わせたところまだ大丈夫ですというのでその詳細を聞くために大使館に出かけた。ところで、問い合わせの電話で久しぶりに滑らかな転がるようなアメリカ英語を耳にしてなぜか元気になった。

当日はルーブルの方からテュイルリー公園を左に見な がらリヴォリ通りを歩いて行った。暑いがからっとしていて余り気にならない。ここを歩き終わった時、スケールは小さいがニューヨークのセントラルパークと5番街に当るのかなどと考えていた。ところで途中嬉しいものを発見した。人の流れが滞った時、ちょっと横を見ると扉の飾りに医学の象徴になっているアスクレピオスの杖が縁取られてあり、そこから視線を上げたところにこのプレートがあった。その瞬間、江戸時代にタイムスリップする。



大使館に近づくと、周辺の警備が厳しいことがわかる。gendarme の車と人が目に入る。入り口ではパソコンを持っていますかと訊かれる。パソコンがある場合、たとえそれを外に置いても中に入れないという。科学的(統計的)根拠があるのだと思うが、よくわからない。とにかく警備の決まりがそうなっているので日を改めることにした。

ところで年金の話であるが、私の場合アメリカで5年、日本ではその5倍は働いているだろう。しかし、最近日本の年金を計算してもらったところ、僅か5年のアメリカからもらっている2倍ほどにしかならないことがわかった。もし今からアメリカの年金を受け取ることにしていれば、ひょっとする同じような額になったかもしれない。アメ リカで普通に働いていた場合、一体どのくらいになるのだろうか。これまでは特に感謝することもなかったが、アメリカが研究者を大切にしてくれていたことがわかり、少し見方が変わってきている。野茂の年金と比較する気はないが、プロ野球にしても日米では雲泥の差だ(野茂英雄 Hideo Nomo, a Trailblazer 2005-05-17)。少し話はずれるが、この記事がハンモックでよくアクセスがある。その検索に使われているキーワードが 「野茂 年金」。本当にどんな人が見ているのか、予測不能だと改めて悟った次第。





その日は大使館の後、シャンゼリゼ通りを久しぶりに散策。ちょっと足を伸ばすと、この不思議な世界に足を踏み入れることができる。ヘミングウェーではないが、まさにパリは毎日が移動祝祭日。日本から来るのとは全く異なる精神状態での観光気分を味わって帰ってきた。

と、書いた時、最初にシャンゼリゼを歩いた時のことを思い出した。大学院1年の夏、父親のお供で旅行したが、午後シャンゼリゼのどこかのレコード店に入り、その夜は誰かのコンサートに出かけたことが浮かんできた。当時メモを書いていたかどうかわからないが、初めての海外旅行だったのでどこかに何かが残っていそうな気もする。もしメモが見つかればこの旅行を再現できるかもしれない。
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今、日本のサイトに行ったところ何という偶然だろうか。
野茂が現役を引退したという。
彼の持っている描いたものを実現しようとする精神の強靭さは
道を開くためには不可欠のものだろう。
今、いろいろなところで求められている精神のあり方かもしれない。


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17 juillet 2014


これほど年金の細かいところまで書いていたとは知らなかった

年金は日本でも再び問題になっていると聞く

若い時には気にかけていなかったが、その時が来ると意外に重要であることが分かる

仕事をしない場合には尚更だ

いずれ、いろいろなことを総合的に考えなければならない時が巡ってきそうな気配である





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