mardi 21 juillet 2015

ボルタンスキー兄弟 Les Boltanski

21 juillet 2008

今日、乾いた涼しげな風を受けながらこのところご無沙汰していたセーヌの顔を見に出かける。途中、薄紫の植物が目に留まり茎を引き寄せてみると、花の直径は5ミリ程度で5枚の長方形の花弁がどれも規則正しく付いている。少しすると下から蜂が上がってきて少し驚く。おとなしくその行動を見ていたところ、次から次に花の芯に長い針?を伸ばして蜜を吸っている。一つ残らずである。自然の何気ない一こまに感心していた。それから程なくセーヌに着く。いつものことだが、この姿を見ると気力が蘇る。

Le Monde で "Frères et soeurs" という15回シリーズの特集を始めた。今回読んだのはその3回目で、ボルタンスキー兄弟が紹介されている(7月16日)。理・知・言葉の学者と言葉を超えた本能の芸術家との対比に興味を持ち、最後まで付き合ってみた。

リュック1940年生、68歳)は社会学者で Sociologie pragmatique の父と言わる。現在存続が危ぶまれている大学院大学 EHESS の研究部長をしている。弟クリスチャン(1944 年生、63歳)は現在世界の二十指に入るフランス屈指の芸術家。すべての面で対立する。その生い立ちから現在までがそれぞれの特質を絡めて語られていて、人間の不思議さ、強さや面白さが表れている。ま た兄弟の歳の取り方やその過程での兄弟の付き合い方もユニークで参考になる。ところで長兄は言語学者のジャン・エリー。大変な環境から出発したが、それぞれ特徴を持った人間が出来上がっている。

ロシアからのユダヤ人で医者であった父と零落れた貴族の家庭出身の母親の間に生れる。父親は後にキリスト教に改宗。母親は22歳でポリオに罹り、学業を諦める。戦争が始ると反ユダヤの法律が施行される。7区にあったアパートでは争いが始る。そして、リュックが2歳の時父親がいなくなる。戦争が終わり、父親が戻ってくるところに居合わせたが、実は狭苦しい部屋や床下に隠れていた。1944年生れのクリ スチャンは言う。「父は夜になるとそこから出てきて、そして私が生れることになったのだ」

母親は大部分ペタン主義者だった彼女の家族とは疎遠になり、レジスタンスの革命的な考えを抱くようになる。家にはカトリックの家族、ユダヤ人共産主義者、それから一握りのホモセクシュアルの芸術家などと共同生活をしていたのをリュックは覚えている。そこで見られたある種の緊張感が彼を社会科学へ導くことになる。それは、社会科学にこのような緊張関係を解く手段としての希望を見たからだろう。後に、それこそまさにこの世界そのものであることを知ることになるのだが、、。

1950年代初めからグルネル通りのアパートで大家族生活が始る。子供たちは床に寝る。ヴァカンスでも同じで、車の中で寝る。クリスチャンはここで観察眼を養う。しかし、同時に世界に対して恐れを抱くようになったという。彼は今で言えば登校拒否児童。20歳まで一人で外出したことはなかった。彼の兄弟以外に話をしたこともなければ、読むこともできなかった。彼を助けたのは兄弟と芸術。それがなければ今頃は路頭に迷っていたのではないかとさえ言っている。

長兄のジャン・エリーによると、家で芸術家と目されていたのは詩や絵を愛したリュック。彼が人類博物館を教えてくれた。そこで英雄でもない人たちの存在や失われた世界を知ることになる。その影響は決定的だったと語っている。それからクリスチャンが写真を始めるようになる。

今では毎日曜、ジャン・エリーが今でも住み、リュックが越してきたグルネル通りにすべての家族が集まる。リュックは持ち込んだ本について語るが、クリスチャンは別に読む必要はない。最近では奴隷やニューギニアの信じられない部族について教えてくれた、とクリスチャン。さらに、兄は現代芸術はブルジョアを驚かすものとしか見ておらず、私のことをペテン師くらいにしか思っていないのでは、と続ける。それに対して、彼は偉大な創造者で彼の仕事は気に入っているとリュックが訂正。そして、彼には心眼があり、世界を切り取り浮かび上がらせている。文章の中には何も見えないのだが、と付け加えるのを忘れない。

わたしたちは本当に違う、とクリスチャン。兄は家族の食事を用意する時ほど幸せな時はないようだが、私は子供も犬も嫌い。私はユダヤ的だが兄はカトリックであり神秘主義者だと続けると、リュックは反論。私は神秘主義者ではない。内的生活はないし、興味があるのは外の世界。しかし、こうも言う。それにしてもどうして近・現代的なるものが人間性をここまで切り刻まなければならなかったのかわからない。悪魔、儀礼、亡霊。少なくともカトリック?と問われると、こう答える。私はラベルに影響されるのを拒否してきた。すぐに裏切りたくなるのだ。私は人生を通して逃げ、裏切ってきた。家族、最初の妻、私の師ブルデュー。アイデンティティ、それは混じりけのないもの、最悪の罪、精神の毒。

最後のところは寺山の言葉を思い出した。
私は何でも 「捨てる」 のが好きである。少年時代には親を捨て、一人で出奔の汽車にのったし、長じては故郷を捨て、また一緒にくらしていた女との生活を捨てた。旅するのは、いわば風景を 「捨てる」 ことだと思うことがある。
- 競馬無宿 -
最近、二人の役割に変化が見られる。インテリが詩を愛し、自由を渇望するようになり、芸術家が歴史や世界の物語の虜になっている。

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クリスチャンの興味深い言葉がウィキに紹介されていた。
"We are all so complicated, and then we die. We are a subject one day, with our vanities, our loves, our worries, and then one day, abruptly, we become nothing but an object, an absolutely disgusting pile of shit. We pass very quickly from one stage to the next. It's very bizarre. It will happen to all of us, and fairly soon too. We become an object you can handle like a stone, but a stone that was someone."


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21 juillet 2015

兄弟の間の性格や嗜好の違いは、実に興味深いものがある

父親と母親の特徴が異なる時、兄弟に別々に伝わることがある

それが生き方の違いをも生み出す

これだけは予想できない

振り返ると、それを変える機会があったはずだが、その機会を見逃したり、無為に見送ったりする

それにより、その後の人生が決まってしまう

この真理をその時に知っていれば、とも思うが、それは難しい

そこにそんな問題が隠れていることには、なかなか気付かないからだ

それに気付くためには、広い経験が必要になるだろう

読むことが欠かせないだろう


最後にあるクリスチャンの言葉は、人を送った後には特に印象深い

われわれはほんの僅かの間、この世界に現れ、主体として生きる

しかし、その時間が終わるとそれ以前にあったように無機物に返っていく

生物とは実に不思議な存在である

主体である時期をどう生きるのか

この世界をどう理解しようとするのか

これが大問題でなくて何が大問題になるだろうか





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