dimanche 30 août 2015

パリ生活1年に想う

30 août 2008


まだ時差ぼけのようだ。思い起こせば、昨年の今日、パリに着いて安ホテルのコンシェルジュの言葉に疲れを癒されたことや涼しいパリの秋を味わいながらカフェでスピノザについてまとめていたことを思い出す。あれから1年。早いようだが、中味はぎっしり詰まった1年だった。始める前は、この長さは日本で通っていた語学学校で言えば春季+秋季+冬季に当るので、こんな時間で一体何ができるのかと疑問に思っていた。しかし、実際に始めてみると意外にいろいろなことがあり、自分の 見方も変わってきているように思う。これまで使われていなかった脳の部分が揉み解されているように感じる。その部分とこれまで使ってきた部分が予想もしな いような結びつきをしてくれれば素晴らしいのだが、などと夢想している。

想えば、昨年の9月。来る前には考えてもいなかった目の前に見える高い壁。この程度の蓄えで、その壁を乗り越えることができるのか。しかし乗り越えなければならない。本当に手探りで進んでいった。必死にやっていたよう だ。アパルトマンの床に散らばっている本を眺めてみたが、こんなものまで買っていたのかというものが多く、この間の必死さが伝わってくる。今終ったばかり で何ともいえないが、将来平和な時間が訪れた時、この一年はどのように映るのだろうか。あるいは、先日瀬戸内寂聴氏の講演を聴いたというN氏から聞いた 「休むことができるのはあの世に行ってからですよ」ということになるのだろうか。

昨日、カフェで手帳のカレンダーを眺めながらこれからの 1年をぼんやりと想っていたが、そこにある1年は本当に短いという印象だった。しかし、実際に大学生活を始めると結構なことが起こり、これまでの1年とは違う抵抗感が訪れるのだろう。そして、もしこの秋から1年目を始めると考えただけでウンザリしていた。やはり事を始めるのは去年でなければならなかった、と自ら納得していた。








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