samedi 29 août 2015

メモワール初稿完成 La première version de M1 mémoire

29 août 2008


6月にヴァカンスに入ってから考えない日はなかった人生最初のメモワールが今朝完成した。ただ、感動はほとんど感じなかった。最初にミニメモワールを書き終えた時の興奮を懐かしく思い出しているが、もう実感できない。今が最高でなければならないという持論がここから出てくる。過去の栄光など(もちろん、あったとしての話だが)何の意味もないことが、こういう時に体感できるからだ。

これまでにも観察していることだが、最後のまとまりを見せる時はあっという間に訪れる。今朝は時差ぼけで5時前に目が覚め、しばらくしてから始めたが、2時間くらいのうちに一気に終えることができた。このペースを日常的に維持できれば素晴らしいのだが、如何せん修士の学生。それにしても苦しい夏休みであった。早く仕上げて創造的なヴァカンスを、などと当初考えて いたが、何のことはない、平々凡々と読み、書こうとしていた日常であった。

今回の初体験はいろいろなことを教えてくれた。まず、蓄えもな いのに高望みしないこと。これが一番大きな教訓だろう。6月の段階ではかなり大きな構想を描き、それに合わせて読んでいこうとしたが、そう簡単にできるこ とではなかった。重要なことは、大枠を決めたところで些細なことでもよいから書き始めることだろう。それを元に広げ、深めるというやり方のほうが自分には合っているようだ。最初から大きなことが自分の中で熟するのを待ってから書こうとすると、経験がないこともありそういう時がなかなか訪れない。結局時間に追われることになる。今回がその例だろう。

それにしてもブロックを積み上げるようにして40-50ページにもなろうかというフランス語の文章を書いていることが、未だに信じられない。自分ではないようにも感じる。こういうアーティザナルな作業の結果だろうか、以前よりは動詞の活用、性変化、アクサンの位置などの構造上の異常に目が行くようになり、これはどこかおかしいという感覚が自然に生れるようになっている。前期のミニメモワールにつ いて指導教授と話した中では、このような点には意外にあっさりと触れるだけで(もちろん重要なのだろうが)、むしろテーマの質や論理の流れに重きを置いて いるように感じた。今回はどのようなことになるのだろうか。時間は余りないが、いつも目を開かされるディスカッションを楽しみにしている。


------------------------------
29 août 2015

マスター1年目での経験がドクターに入ってから全く生かされていなかったことが分かる

結局、テーズにおいても最後まで苦しむことになり、現在に至っている











Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire