mardi 27 octobre 2015

日曜の午後、街に出て散策と読書

27 octobre 2008



昨日、シオランを味わった後、少し内省的な気分になる。午後をどのように使おうか考えている時、普段ほとんど使われていない古いメールボックスに日本からのお付き合いになるブルターニュのPさんからメールが入っているのに気付く。最近彼女について触れた仏版ブログの記事を目にしたのか、近況報告と共にいくつかお勧めの本が書かれてあった。また、別のボックスには日本のY氏から私が日本の学会のニュースレターに書いたエッセイについて熱のこもった (passionnant) なコメントを寄せてくれた。このような反応には本当に生気を与えてくれる力がある(revigorant, vivifiant とでも言うのだろうか)。ということで、午後からPさんに紹介された本などを探すために街に出ることにした。シャトレの辺りを中心に散策する予定で。

ところが出掛けに手にしたドイツのヴァイツゼッカー(ヴィクトール・フォン)の日本語訳文庫本をメトロで読み始めると面白くなっていた。まず人間が複雑である。その上、ナチとの関係、学会との関係、フロイトとの関係なども一筋縄では行かない。その人間像と彼の考えを知りたくなり、リブレリー巡りを諦めシャトレのカフェで数時間過ごす。日曜の午後、普段読むことがなくなっている日本語の本をパリの街中で読むのも悪くないな、という思いが湧いていた。それから周辺の町並みを鑑賞しながらゆっくりと散策し、セーヌを渡ってオデオンまで出た。パリの町は切り取るところが至るところに転がっているという印象である。

それにしても今頃冬時間に移行したことに気付くとは。
去年と同様にパソコン時間より部屋の時計が1時間進んでいることでわかる。
狐につままれたような時間は今年は非常に短かった。
時の経つのは本当に速い。


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mardi 27 octobre 2015

この記事にある「出掛けに手にした」本が意外に強い印象を残すことにその後気付くことになった。限られた時間、立ったまま読むことが集中力を増しているのではないかと想像しているのだが、、。出口近くの本棚を眺め、適当に本を取り出し、その場で少し読み、よく入ってくるものをそのまま持って外に出るのである。そこには日本語の本が多いため、持ち出す本もほとんどの場合日本語の本である。 つい先日のアンジェに向かう前には、トルストイの『人生論』を持ち出し、多くの発見をした。

今年はこの日曜から冬時間が始まった。最近は1日前から時計を調整するようになっている。それだけ生活に余裕が出てきたということだろう。





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