mardi 13 octobre 2015

フランス文化の栄光や今何処 La gloire perdue de la culture française

13 octobre 2008
 


私がフランス文化について話をすると、このような危惧の声を聞くことが多い。先日巡り合ったSさんの友人も、指導教授もよく口にする言葉である。そういうこともあってか、今週末のフィガロ・マガジンで紹介されていた1冊の本に目が行った。

"Que reste-t-il de la culture française ?" par Donald Morrisonet et "Le souci de la grandeur" par Antoine Compagnon (25 septembre 2008)

前半を書いているモリソン氏は5年前にパリに移ってきたアメリカ人ジャーナリストで、コンパニョン氏はコレージュ・ド・フランスの文学教授、兼ニューヨークのコロンビア大学教授である。事の発端は、昨年12月3日号の雑誌Timeのヨーロッパ版で "La mort de la culture française" (フランス文化の死)がカバー・ストーリーになり (残念ながら私は読んでいない)、この記事の著者に怒りの反応が押し寄せたとのこと。これは "French bashing" (casser du Français) だ!というわけである。しかし、モリソン氏はフランス文化は確実に衰退している ("La culture française connaît un déclin inexorable")、フランスの芸術家は市場でも力がなくなり、作家にしてもアメリカで訳されることもなくなっている、サルトルやカミュは一体どこに行ったのか、と手厳しい。

これに対してフランスの文化人も助け舟を出そうとする(à la rescousse)のだが、彼の言っていることに必ずしも誤りがないことを認めざるを得ない状況にある。フランス文化が以前ほど輸出されなくなっているとの認識はコンパニョン氏のものである。お二人の結論は一括りにすると次のようになる。コンパニョン氏は言う。

"Le rayonnement de la culture française, une part essentielle de l'identité de ce pays, a reculé à mesure que reculait l'influence de la France dans le monde."

「この国の重要なアイデンティティの一つであるフランス文化の輝かしさは、世界におけるフランスの影響力の低下に伴なって薄らいだ」

それから文化に対する財政援助と大学での芸術、文学の軽視を批判する。アメリカやイギリスで大切にされている作家のワークショップはフランスではどこに行ったのだろうか。次代の作家を育てるのに重要なのだが、フランスは自己満足の内省に陥っている。フランス人が誇りを持っている映画にしても同様である。少ない予算でサンパではあるが意味のない国内向けの映画に閉じこもっている、とはモリソン氏。そして、おそらくわずかにこの難を逃れているのが建築(ジャン・ヌヴェル氏のお陰!)とクラシック音楽だというのが両氏の一致した観察になる。

フランスの芸術家は内に閉じこもり (自己中心的になる:nombrilisme=自分の臍だけを見る)、世界を夢見なくなったとのご両人の認識。外に目を向けなければ活力が落ち、輝きが失われるということか。耳が痛いが故に参考になる結論かもしれない。


日本の場合は数字で表わすことができ、言葉が必要のないところで影響力を持とうとしているように見受けられるが、逆に日本文化の発信によって世界への影響力を増すことを考えた方がよさそうに思える。その過程で日本人そのものが磨かれていくだろう。常に外を意識した精神の緊張状態(島国ではこれが一番難しい)。思想や哲学の面ではもちろん、それを紡ぐ言葉による表現、人間そのものがものを言う世界で何が重要なのかも理解できるようになるような気がするのだが、、、


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ところで、眼鏡屋さんに入って眺めている時に年齢分のパーセントをお値引きしますという札が見えた。100歳であればただになるサービスである。この機会に気分転換もかねて作り替える決断を一瞬のうちにしていた。私の場合には半額以下になる。生年月日を入力した後に年齢を聞いてくるので、普段とは逆に冗談で少し多めに言ってみたがああそーですかで終わりであった。その後で正確な歳を伝えたのは言うまでもないが。日本でこんなサービスがあるのかどうかわからないが、ちょっとした遊び心を刺激するサービスに引っ掛かってしまった。年寄りの懐を狙った戦略と言ってもよいのだろうか。


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mardi 13 octobre 2015


フランスに9年目に入ったが、フランスの状況には無頓着で来た

こちらでの内的状態が私にとって最適であり、外の状況はあまり関係ないと見ていたからである

そのため、こちらに来た当初に書いたこのような観察だけがわたしの判断の基準となっている


日本の状況についても昔とは比べられないだろうが、同様の傾向があるように思っている

こちらに来て、フランス語の本が日本語によく訳されていることに驚いている

取り入れることには今でも非常に熱心である

しかし、どれだけ日本文化の目には見えない部分を外に向けて発信しているだろうか
 
そのことを考え、創造性を発揮するのが、文系にいる人間の責任になるような気がしている

その意味では、チャレンジングな時代が待っているとも言えそうである


話は変わるが、先日メガネが壊れて修理のため眼鏡屋さんを訪れた

その時、新しい眼鏡を作ってはどうですかと勧められたところだった

7年前に眼鏡を作り替えていたとは・・・何とも面白い







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