dimanche 31 mai 2015

「人生に意味を」 "Donner un sens à sa vie" de Jacques Lecomte

31 mai 2008

メトロの中は静まり返っている

真昼時で旅行者が最も少ない時間

車内は割合がらがらである

30代の男が入ってくる

もし彼が突然大きな声を張り上げなければ、おそらく誰も彼のことには気づかなかっただろう

「いいえ、これからみなさんのところへ施しのために行くのではありません。わたしには仕事があり、ちゃんと生活しています。ただ、わたしはこう訊きたいのです。みなさんにとって人生は意味がありますか、と。朝起きて仕事に行くのは何のためですか。わたしにはわかりません。どうしても知りたいのです。これからみなさんのところに伺います。もし、どなたか一人でもわたしにその訳を教えていただければ助かります」

その若い男は人生に再び自信を与えてくれるかもしれない言葉や眼差しや微笑みを求めて通路を大股で歩き回り、何事か口ごもりながら再び出て行った。

十年ほど前に居合わせたこの情景は、わたしを強く揺さぶった

なぜ誰も反応しなかったのか

なぜわたし自身もこの男に答えなかったのか

当時、わたし自身の人生に意味があるということに確信が持てなかったからだろうか

おそらく、そうかもしれない

わたしの存在についての羞恥からだろうか

多分そうだろう

この短い経験が何年もの間わたしに付き纏ってきた

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このエピソードをもとに、ジャック・ルコント(Jacques Lecomte, 1955-)というパリ第10大学で教えている方が Donner un sens à sa vie という本を書いている。



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31 mai 2015

生きる意味については、こちらに来てからの見えないけれども常にそこにあるテーマになっている

いろいろなところに書いた記憶があるが、今のところの結論は次のようになる

おそらく、生きる意味は生きる意味を探るためではないか

 つまり、この問いに対する究極の答えは、最後の最後まで分からない

それを求めて生きることになる

ただ、それぞれの時点での答えを用意することはできるはずである

わたしの場合、答えにはなっていないが、上に示した通りである

別の言い方をすれば、生きる意味などないのであって、それ故自らが与えるものではないのか

哲学はその時の一助となる、というのが今の感触である



この問いに曲がりなりにも声を発することができた大きな理由

それは、静かな中で自らとの対話を続けてきたからだろう

そのための自由な時間を持つことができたからだろう
  
ミシェル・フーコーがよく言うところの « le souci de soi »、« la culture de soi » である

つまり、自分の内面、精神、魂の面倒を見ること、耕すことである

そのためには、 「汝自身を知る」 ための自己との対話が不可欠になる

これはソクラテスの時代から哲学の根底にある営みである

どんな問題について考える場合でも、この営みを伴っていなければ真の哲学とは言えないだろう

図らずも 「哲学はどうあるべきか」 に対する一つの答えを出したことになる

しかし、「哲学とは」 という問いにも生きる意味と同質のものが求められる

最後まで考えて行かなければならないという意味で

したがって、この問いに対する解は必然的に生きる意味と絡んでくるはずである

絡んでこなければならないはずである






samedi 30 mai 2015

淡々と金曜日

30 mai 2008

今朝のメトロ

向かいのホームの駅名を見ているとそのアルファベがブルブルと横に震えた

前期のメモワールの時だろうか、同じような症状が出た

少々お疲 れということだろうか

そこにあったポスターで、近く生命科学の最前線についての講演会があることを知る

下の写真にプログラムの一部がある

機会を見て聴いてみたいと思わせてくれるものが多い



今日も研究所で資料を読む

来週月曜に最終試問である

明日までに資料を読めるところまで読んで、日曜にそれをまとめるという予定でいる

しかし、どこ まで行けるのかわからない

まあ、目の様子と相談しながら淡々とやるしかないだろう

夕方帰ってメールをチェックすると、米国の科学雑誌から査読の依頼が 入っていた

事情を説明してお断りすることになるだろう

夜が長くなっていつまでも明るいせいか、知らない間に10時になっている

試験や締め切りが迫っている時など、特に時の流れが速く感じられる


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30 mai 2015

当時から目の疲れが出ていて、対象が震えて見えたとあるが、よく覚えている

いつものように、それがこんなに早い時期だったことに驚くだけだ


夏時間の世界は、こちらの醍醐味である

「知らない間に10時」 という感覚は今でもあるが、それがさらに早まっているようだ


当時はしっかり予定を立ててやっていたことが分かる

こちらは 「ことを成す」 という観点から言えば、どうも退歩しているようである

その後の時間の中で、精神的縛りをできるだけ除こうとしてきた結果だろう





vendredi 29 mai 2015

ピューリタニズムと科学、そして日本の現状 Le puritanisme, la science et le Japon

29 mai 2008
(1910-2003)


アメリカの社会学者で科学社会学の創始者とされるロバート・キング・マートン氏の最初期の仕事 "Le puritanisme, le piétisme et la science" (1936年)を読む。その中で、17世紀イギリスを対象に社会と文化と文明の関わりを見ようとしている。特に、清教徒(ピューリタン) が掲げる価値と科学の目指すところを概観し、宗教と科学の関係を比較解析している。例を挙げて指摘するところから数値を使って証明する方向に向かっている。その結果、ピューリタンの倫理が科学の発展をもたらしたという結論に達している。

神の創造物である自然を理解することにより創造主を賛美し、人間に幸福をもたらすことがプロテスタントの倫理であり、それが科学の目的とも合致した。自らの興味に基づいて、などという甘い動機付けではとても叶わない大きな力を感じる。17世紀の中頃に王立協会(Royal Society of London)が設立されるが、その憲章にもこの二つが掲げられている。ドイツの敬虔主義でも同様の現象が見られた。科学への参加は、カトリックよりはプロテスタントが優位だったようだ。これを読むと、日本の徳川に当る時代から "why question" や "how question" について議論されており、その歴史の重さには如何ともしがたいものがある。

日本には優れた科学者はいるが、科学という文化はないと言った人がいるらしい。的確な観察だとは思うが、それはヨーロッパ3000年と日本の100年か200年という歴史の長さとその質の違いから来るものだろう。アメリカの歴史も短いが、そもそもアメリカはピューリタンの国。彼らは新大陸に辿り着いて16年後の1636年にはボストンに大学を創り、そこの学長は哲学協会まで創設している。国の成り立ちが日本とは全く違うのである。日本でも科学を若い人や一般の人に浸透させようという動きが盛んになっているが、それは学会の内発的な動きではなく、行政レベルで考えられたものである。文化としての科学を育てなければ、という思惑もあったのだろう。

この手の問題に対してテクニックで解決されると考えている節があるが、そんなに簡単ではないことにすぐ気付くだろう。 まず、その文化がないと言われている科学者が先頭に立つのである。科学の発祥を辿っていけば、批判的なものの見方や自立した考え方がなければそもそも科学が生れなかったとされている。そういう精神のないところに科学文化が生れてくるだろうかという素直な疑問がある。その精神が生れるにはどう したらよいのかを考えることが先決のような気がする。しかし、この問いは科学を超えて途方もない大きさのものになるので、正面を見据えた大計が必要になるだろう。

この話題に関連して、あれだけの科学的才能を発揮したパスカルが科学の虚しさを感じたのが、ジャンセニスムに改宗してからであるという史実も興味深い。ジャンセニスムの教えでは、永遠の真理についての瞑想を妨げ、限られた知性の中で満足させるに過ぎない科学に対して虚しい愛を抱くことを諌めているからである。

科学の発展に宗教の果たした役割は計り知れないというマートン氏の指摘。宗教が科学を脅かす可能性が懸念され、論じられている現代。歴史の大きなうねりにも興味尽きないものがある。
 



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29 mai 2015

科学と宗教の関連は、日本では殆ど議論されることがなく、視界に入ってこなかった

アメリカに比べるとフランスは穏やかに見えるが、それでもどこからともなく聞こえてくるテーマである

当時、ロバート・マートン氏の分析を読み、頭の中がすっきりしたことを思い出す

この問題については、時間ができてからさらに考えてみたい






jeudi 28 mai 2015

今のままの状態が続くのか?

28 mai 2008
Hubert Reeves (né le 13 juillet 1932 à Montréal)


嵐が過ぎた朝、濃い灰色の低い雲が右から左へはっきりした速度で流れている。この朝、昨日歯科の待合室で目にした一般向けの科学雑誌(Sciences et Avenir)を詳しく見るために、町のビブリオテークへ向かう。科学に関連した未来についての質問に、その道の専門家が答えるという特集である。

最初の質問は「科学がなくなることはあるか」というもので、これにはミシェル・セールさんが答えている。この他にも、ビッグ・バンは本当にあったのかという問があり、今日の写真のユベール・リーヴスさんが答えている。この方の名前は忘れられない(そのエピソードは、こちらから)。

その他には、宇宙にわれわれの仲間はいるか、宇宙に終わりはあるのか、地球が動きを止めることはあるのか、われわれの社会は中世の社会より脆弱か、文明が滅びるとは、ダーウィンは宗教の脅威に曝されているか、さらに時間とは、などなど興味が尽きない問いが出されていた。

読んでいて、それぞれの分野に睨みを利かせている人が控えているという感じがして頼もしい。問いの性格もあるのか、科学を技術として捉え、いかに今の潮流に乗り遅れないようにするのかというお話ばかりではなく、長い歴史の中の人間の文化的営みとして科学を捉えるという落ち着いた視点がそれぞれの底に感じられ、読んでいて気持ちがよ い。

帰りにバッハを6枚借りてきた。来週月曜の試問の準備があるが、150ページの資料をまとめるのはまだまだ先になりそうである。 一行に知らない単語が二つ三つ出てくるような文章を読まなければならないので、なかなか大変である。最早、頭の肉体労働と言った方がよさそうである。最後の試問もどうなるのか、予想もできない。


夜、なかなかやる気にならないので、ネットサーフしている時に巡り会った「哲学者占い」なるものをやってみた。その結果は以下の通り。

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あなたはフランスの哲学者フーコーです。

時代認識の鋭いあなたは現在に囚われることなく、柔軟な生き方をすることができます。また、権威などに敏感で人に指図されることを嫌いますが、一方では知略を駆使して大きな力を得ることもできます。

特徴: 時代認識が鋭い
適職: 政治家、新聞記者
相性良: アリストテレス、ニーチェ、バタイユ
相性悪: ヘーゲル、マルクス、レヴィ=ストロース
ラッキーワード: 『知と権力』、『アルシーヴ』
精神レベル: B、 思考レベル: A、 実践レベル: B
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最近フーコーについてまとめたばかりなので、妙に納得していた。
生年月日だけが判断材料だが、御神籤よりは楽しめるのではないだろうか。


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28 mai 2015

今でも科学雑誌には目を配るようにしている

フランス語の語彙はその後もあまり増えていないようだ

一行に分からない言葉が数語ということも稀ではなく、いやになる


ここにある「哲学者占い」というサイトは、もうなくなっている

適職が政治家、新聞記者となっているが、そこからは一番遠いところにいる





mercredi 27 mai 2015

遠雷を聞き、過去人を偲ぶ

27 mai 2008

今日は朝から歯科へ。治療方針をやっと示される。抜いたあとにインプラントを考えているとのことで、見積りが出てきた。この目を疑ったが、帰って調べて見るとどうもインプラントとはそういうものらしい。考えなければならないが、今のままでも不自由はないのでそういうことになりそうである。

小雨の中、周辺を歩きながらサンドウィッチリーで昼食をとることにした。お昼少し前だったので入る時は空いていたが、しばらくすると満席になった。資料を読み始める前に周りを目をやると、女子高生が一隅を埋め、すぐ前には定年後余り時間が経っていないだろう男女のグループ7-8人が、ビールやワインを片手にはっきりとした口調で話に花を咲かせている。シアンスとかサンテ、ユニヴェルシテなどの言葉が聞こえる。背筋が伸びているというのか、彼らの個がごく自然に発露しているというのか、日本では余り見かけない光景だ。とにかく元気がよい。

お昼からは研究所で資料の読みを続ける。

今宵は雨が降り続く中遠雷を聞きながら、19世紀に生きたフランス社会学の創始者、ならびに宗教と科学を進化の光の中で統合しようとして壮大な絵を描いたフランス人の波乱の人生を想う。


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27 mai 2015


インプラントをこんなに早く考えさせられていたとは・・・

ずっと後のことだと思っていたので、驚いた


この日の宵に思っていたのは、オーギュスト・コント(1798-1857)のことだろうか

 元の文では、「19世紀から20世紀に生きた」となっていた

もしコントのことだとすれば、思い違いだったことになる

このようなことは頻繁に起こっているはずである

見直す作業は益々大切になりそうだ

その後の歩みを振り返ると、わたしにとってコントは意外に重要な人物だったことが見えてくる


こうして読んでくると、生活の基本スタイルは最初に出来上がっていたようだ

あるいは、その後あまり進化していないということになる

ところで、中身の方はどれだけ深まったのだろうか






mardi 26 mai 2015

Diam's で始まり、もったいない気分が紡いだ週の初め

26 mai 2008


今日は昨日の夜が遅かったせいか、研究所に出かけるのが午後からになった

道すがら久しぶりにDiam'sを聴きたくなる

例えば、




Diam's のせいかどうかわからないが、そのまま研究所に行くのがもったいない気分になり、周辺を散策する。そして交差点にあるカフェに入り、新しい本を読み始める。今日の写真はネットに溢れるパターンになってしまったが、排気ガスを吸いながらのデジュネを思い出すために敢えて掲げてみた。

最近、本を開くと急に眠くなる。あたかも条件反射のように。外気に触れると不思議と眠気は襲ってこず、2-3時間は読むことができた。それから研究所に2時間ほどいたが、やはり眠気が襲ってきた。フランス語のためと言うよりは、お勉強をしなければならないという環境がそうさせるのかもしれない。

ところで、今日読んだ本は20世紀初めにポーランドの研究者が書いたものだが、発表当時は全く注目されず、そのまま忘れ去られていた。しかし、波乱の人生を送った彼の著書はアメリカの研究者によって再発見され、今ではその分野の古典に数えられるようになっている。日本ではまだ訳されていないかもしれない。いずれ機会があれば紹介してみたい。

研究所を出てメトロに乗ったのはよいが、そのまま帰るのがもったいなくなる。以前に紹介されていた日本料理店を思い出し、調べてみると丁度次の駅にある。そのタイミングの良さに思わず降りていた。日本料理店に入るのは、こちらに来て初めてになる。パリで20年以上仕事をされているご主人の話によると、お客さんの中には同年代で美術学校に留学している方もいるとのこと。

丁度横になったリヨンから週二日パリに仕事にきているという方とお話をする。彼女はオーストリア人でフランスにもう10年になるという。哲学を話題にしても全く抵抗がないどころか、むしろ盛り上がってくれるのが嬉しい。フランス語を話すと母国語の時とは違う自分が顔を出すので非常に面白く感じていて、その状態を気に入っているとのお話。それは外国語を学ぶ効用の一つかもしれない。お店で働いているバイトの若者が日本酒を説明する時の月桂冠の発音がおかしいので訊ねてみると、2歳からこちらに来ているので中身はもうフランス人ですからとの返答。フランス語会話でも教えていただきたいものである。3時間ほどお邪魔して帰ってきた。

もったいない気分で繋がった週の初めとなった。


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26 mai 2015

Diam's を聴いていたことは、完全に忘れていた

今回、改めて聴き直した


この日読んでいた本は、ルドヴィク・フレックの(Ludwik Fleck, 1896-1961)の『科学的事実の生成 と発展』

この時期に読み始めていたとは驚いた

この本は1935年にドイツ語で出版されたが、英訳は1979年、仏訳は出版から70年後である

この本に纏わるお話は数年前にエッセイとして纏めている

 「パリから見えるこの世界」 第9回 ルドヴィク・フレックという辺境の哲学的医学者と科学社会学

医学のあゆみ(2012.10.13) 243 (2): 203-206, 2012


この日初めて日本料理屋に行ったとある

そこでオーストリアの方と話をしたことは、完全に忘れていた

そのお店には今でもたまに顔を出すことがあるので、7年のお付き合いになる

これも驚きである




lundi 25 mai 2015

1年を振り返って(2)

25 mai 2008

今朝は最近の日課になっている朝のバルコンから始める。目を閉じて日の光を浴びていると、体全体が恵みを受けているように感じる。強い日差しを瞼の上に見ながら、この1年のことを振り返っていた。

こちらに来る前、科学哲学以外にもギリシャ哲学、芸術哲学、宗教哲学、現代哲学などの哲学全体を眺めてみたいという想いを抱いていた。その想いはこちらに来てプログラムを見ている時も続いていた。しかし、専門のクールが始り、その内容の豊富さに圧倒されると、専門の領域だけでもどうなるかわからないと悟ることになり、最初の想いはどこかに飛んで行ってしまった。

広く見てみたいという想いは、それまでの専門領域での生活を客観的に見ることができるようになったために生れたものだろう。専門領域を決めた20代前半以降、専門外の分野は横目で見る程度で自らの領域が人生のすべてという生活をしてきた。大半の人は自らの仕事の中での秩序や評価、そこから生れる満足感や失望を抱きながら生きているのではないだろうか。しかし、そこから外に出て世界を眺めるという視点を持つことができるようになると、そこには広大な原野が広がっていることに気付くことになる。わたしの中でのイメージでは、これまで生活して いた専門の世界はその原野に口を開けている穴倉のようなもので、その世界に繋がる口がいくつも見えるというものだ。そして、その穴倉の中もかなりの大き さなのでそれが全世界だと勘違いしてしまうほどである。

私の場合、自らの終わりを初めて実感した時、その穴倉から出てこの広い世界がどうなっているのかを知りたいと思った。これからも自らの領域を突き進んで行くと、いずれ物理的制限が出てきて思うようにならなくなることが予想されたので、早めに一人でもできるところに転換しようという考えもあったかもしれない。しかし、その転換を決意した時には「一線を越える」とか「ルビコンを渡る」という表現がぴったりする精神の動きをはっきり意識できた。今まさに何かを飛び越えたな、という感じである。そして今、新しい1年を終えようとしている。ある意味では、また新たな穴倉に首を突っ込み始めたということになるのかもしれない。ただ、今のイメージは、この広い原野に樹齢数千年にも及ぼうかという大樹がぽつんぽつんと見渡せ、穴倉の中ではなく、新しい大樹に登って広く遠くを見ようとしているようだ。したがって、今までのように横の世界が目に入らないとか目に入れないというのではなく、横の世界も見晴らすことができるのではないかという明るい気持ちを持っている。

この1年間、全くの新しい分野についていろいろな人の話を聞きながら、その外にいては人々の記憶にも上らないだろう膨大な仕事を成し遂げた多くの先人の存在を知り、感動した。その過程で、自らの考え方の癖もわかってきた。それは、自分の考え方が唯一無二であると思いがちなことである。異文化の中で異領域に触れるという状況の中で、心を開く効果が増幅されたようにも感じる。

「定年とは努力しないでルビコンの河を渡ることができる時」と言い換えることができるかもしれない。その先には、仕事という専門の中に身を沈めていたそれぞれが、人間本来の(あるいは、それまで忘れていた)姿に戻るための茫洋たる原野が広がっている。


再びバルコンに出てみた

そこで一茶を経験することになるとは・・・

蠅が手摺に停まり、まず前足を擦っていた

かと思うと、今度は顔を前に倒しながら両の前足で擦っている

その次は後足同士を擦り、そのまま羽根のお手入れ?に入った

それを数度繰り返して私の前から飛び去って行った


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27 mai 2015

当時、初めての年の終わりということもあったのか、真面目に1年を振り返っていたことを知る

このようなことをこの時点で書いていたとは思わなかった

しかし、そのエッセンスは澱のように自分の底に確実にあることが分かる

そしてあるものは、そこから発展して新しい形を得たように見える


上の記事の冒頭のシーンにも同様の思いが湧く

この体験が、その後「瞑想」とか「省察」と名付けることになる精神運動に気付く切っ掛けとなったからである

この点について、昨年エッセイとして書かせていただいた

医療と哲学 第44回 「瞑想生活のある医学」 (THE LUNG perspectives 22 (3): 106-109, 2014)


 時を超えたやり取りは、想像以上に面白い




dimanche 24 mai 2015

一夜明けて、あるいは昔の将来計画

24 mai 2008

今朝はバッハより小鳥の囀りや木々のざわめきを欲していた。昨日は感じなかった解放感が少しあるようだ。昨日の領域については9月にもう一度チャンスを与えてもらえるのではないかという期待と(学生に聞いてもシステムがどうなっているのかよくわからないという。事に対するそのような対し方が何とも言えずよいのだが)いよいよあと一つだけになったという安堵感のためだろうか。

日本語用パソコンの動きが鈍くなってきたようなので、データを外に保存することにした。次第に使わなくなっている日本からのデータを移すことにした。出すべきファイルを選んでいる時、日本で考えていた将来計画のファイルが出てきた。そんなことをしていたこともすっかり忘れていたので読み返してみると、日本を離れる2年ほど前から本格的になっている。

最初の頃は特に外国で仕事を続けるための模索を繰り返している。それとは別に、フランスで思索生活をするというのも選択肢の一つには入っていた。しかし、それはぼんやり とした夢のようなものであったことも分かる。それを真剣に考えるようになったのは、日本を出る1年ほど前にフランスを訪問した後だった。ただ、その時にもよもや学生で来るなどとは考えておらず、それが具体化したのはこちらに来る数ヶ月前のことであった。

そこまでは大体覚えていたが、そのファイルの中に思い掛けない記述が見つかった。5年後の予想をしていたのである。それはこちらの大学からの返事を待っている時期に当たる。こんなことを書 いたことなど全く覚えていなかったので驚いた。

その時の感覚をこう分析している。それまで科学の世界で生活していた時に比べると、エネルギーのレベルが落ちてきていてると書かれてある。おそらく、科学をするために日常と違うレベルに自らを持ち上げていたのではないか。最初の段階では、科学の仕事に向かう時には日常とは違う世界に意識的に自分を持って行っていた可能性がある。しかし、次第に無意識の内にそうなっていたのではないだろうか。科学の中にいる時には、この状態をずーっと保っていたように思う。そこから離れ日常の世界に意識が戻ってくると、それまで別世界にいた状態を支えていたエネルギーが必要なくなり、そう感じたのではないだろうか。

そういう状態になると他の人との壁がなくなり、当時流行っていた言い方に倣えば「共感力」が増したように感じているとも書かれてある。そう言えば、最初のブログ「ハンモック」でも同じような観察を書いたことを思い出す。その上で15ほどの相互に対立しない5年後の予想が書かれてあった。そんなことを考えていたのかと大いに参考になった。まさに、1年前の自分は自分にあらずである。将来、タイムカプセルを開けるようにそのファイルを取り出し、改めて眺めてみたいものである。


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24 mai 2015

記事にある昔描いた将来のイメージを7年振りに読み直してみた

中には、的外れのものもある

しかし、半分くらいはその方向に歩んでいたことが分かる

ただ、いずれも道半ばという判定を下さざるを得ない

 今度このカプセルを開けるのは、いつになるのだろうか





samedi 23 mai 2015

口頭試問を終えて

23 mai 2008

昨日の夜から始めたが、今回は到底終りそうにないので諦めることにした。今日大学に向かう時、そういう状態に呆れたのか、自己嫌悪が襲ってきた。大学近くのカフェで準備をしようとするも、全くその気にならず。

今日の予定で分かっていたのは、時間(2時から)と教室だけで、どのようにやるのかはわからなかった。他の学生もよくわからない状態だが、特に気にしている様子もない。この辺りは日本と違うところだろう。あれこれ構われないところがよい。これからの方もいると思われるので、今日の様子を紹介してみたい。

教室に行くと、扉に名前を書くための紙が張られている。よく見てみると、それが3枚ある。つまり、一つの教室で3人の先生が同時進行で口頭試問をやるという設定である。流石に一人の先生は別の部屋に移動したが、2つの試問は平行して行われた。私の順番は後ろの方で、始ったのが4時半くらい。それまで待っている連中と雑談をして時間を潰す。今日の写真は、部屋から出てきた仲間にその様子を聞き、対策を練っている同期の連中である。さらに偶然の成せる業か、現代哲学のDorlin先生がこちらに向かってくる瞬間でもあった。

この写真には写っていないが、ベルギーからの留学生がいて話を聞いた。彼の場合、社会学を3年やったが、科学という面が強調されているところに違和感を抱き、哲学へと移ってきたとのこと。あくまでも社会学を哲学するという立場のようだ。マスター2年目はシカゴ大学に移りたいという。ソルボンヌでは指導教授の合意があれば、M2を他の大学でできるようだ。これから4ヶ月の夏休みに何をするのか聞いてみたところ、1ヵ月半しかないという。母国の大学とドゥーブルでやっていて、夏にはブリュッセルでクールを取るようだ。先日のドイツからの学生もそうだった。ダイナミックに学生が動いている様子を垣間見ることができる。

こちらも写真には写っていないが、イタリアからの留学生がいた。私などは何とか締め切りに間に合わせようとして不眠不休で仕上げたが、締め切りが今週月曜のメモワールを今日提出するのだという。そんなこと許されるのか聞いてみたところ、「だって終らないんだから仕方ないでしょう」 と真面目な顔。確かに慌ててスペルチェックもしないで出すよりは、自分の満足のいくところまでやって出すという落ち着いた姿勢でなければ駄目だという気もしてくる。



試験に戻る。時間が来て部屋に入ると、机の上に問題が書かれた御神籤のような紙片が十数枚無造作の置いてある。その中から一つ選ぶように言われる。2人がエクスポゼの準備をし、1人が先生と試問を受けるようになっている。問題を選び、2人の試問が終るまでが準備の時間。大体30-40分くらいだった。準備の時、2ヶ所から声が聞こえてくるので集中できない。しかも記憶を掬い上げる笊の目が今や5センチくらいになっていて、求めているものを捕まえるのは至難の業。

"Je vous écoute"で始ったエクスポゼは10分くらいだっただろうか。何とか終えることができ、質疑応答になる。先生の些細に見えるが本質を突く鋭い質問を聞いた時、出された問題の意味をよく理解していないことに気付く。何やらしゃべっているのだが、どこかずれている。よろしくないパターンだった。終ると解放感と言うよりは、体の中に重苦しい熱(疲労感か?)を感じる。

帰りにカフェに寄り、ゆっくりとこれまでを振り返ってみる。昨年までは私の中の半分以上には科学が残っていて、こちらの哲学の内容を入れるのに苦労した。年が明け前期が終るまではその状態が続いた。後期に入ってからはかなりの部分が哲学に向かうようになってきたが、まだ完全には入り切っていない。これまで何度も経験しているやる気が出てこないという状態をどう説明すればよいのだろうか。

一つには、まだどこかに旅行者という気分が残っていて、その甘えの反映があるだろう。まだ完全に学生としての生活になっていないということだろうか。言い換えると、日本でのアイデンティティを引き摺ったままやっていて、全くのゼロから新たな領域に入るのだと自分に言い聞かすところまでまだ行っていなかったのではないか。とにかく、暗中模索の1年が終わり、これから少しずつ新しいやり方が分かってくることを願うばかりである。

あと1週間ほどで、もう一つの口頭試問が巡ってくる。






vendredi 22 mai 2015

口頭試問前夜

22 mai 2008

最初の経験になる口頭試問を明日に控えて、これから何やらごそごそやろうとしている

準備が終りそうもない状況の中、明日の今頃は何を考えているのだろうか

これがなければ、本当に天国なのだが、、、







mercredi 20 mai 2015

この人は何を考えて生きていたのか?

20 mai 2008

長い旅から帰ってきたかと思ったら、まだ丸二日しか経っていない。長く感じたその旅では最後のミニ・メモワールと格闘していた。経過はこんな具合だっただろうか。もう遠い昔のように感じられ、正確には思い出せない。

先週の土曜日、結局やる気にならず、日曜と月曜で仕上げようというかなり甘く、図々しい考えでいた。日曜も夜が深まり、周りから音が消えてきた時にやっとその気になってくれ、結局朝の鳥の挨拶を受けた。しかし、どう考えても終わりの見通しが立たない。締め切りは、月曜の夕方である。不本意ながら大学に連絡して、一晩締め切りを延ばしてもらうことにした。そして昨日から今朝に掛けて、最初の学生時代でもやったことがないだろう二日続けての準徹夜となった。そして、やっとのことで仕上げたものを今朝提出した。これで口頭試問2つを残すだけになった。9月締め切りのメモワールは残っているが、、。

今回のお相手は、ミシェル・フーコー(Michel Foucault: 1926-1984)。日本にいる時にはその名前とマスコミに上ってくる彼の人生の一部しか知らなかった。こちらに来て、彼がガストン・バシュラール(Gaston Bachelard: 1884-1962)、ジョルジュ・カンギレム(Georges Canguilhem: 1904-1995)からフランス精神を受け継いだ人間であることを知る。父親が医者であったためか、医業は継がなかったものの彼の思索は医学から始まり、常に人間の状況、人間の営みを突き詰めようとするものであった。彼の同時代人から前期と後期に亘って話を聞くことができ、非常に近い存在に思えてき た。未だその中に入るところまで行っておらず、入り口に立ったというところだろうか。

この間、いろいろなことがこの頭の中を巡っていた。こちらに来る前には、この地下に埋まっている人類の遺産を掘り起こしたいという想いを抱いていた。そして今回、それが意味する具体的なもの を感じることができた。その元にあるものは、一体この人間は何を考えて生きていたのか、何を知るために、何をやるためにこの世に現れたのか、という熱い想 いであった。大げさに言えば、自らの極限のような状況でその問いが現れたのだ。そういう想いを抱く対象が次第に増えてきているのは嬉しいことである。

朝一番にメモワールを提出した後、大学の中庭でカフェを口にしながらのんびりしていた(上の写真)。今回は、やり足りないという思いが強いからだろうか、解放感は全くなかった。それから夢遊病者のようにカルチエ・ラタンの散策に出かけた。



まず大学前の哲学書店 Vrin を覗く。興味を惹いた4冊を仕入れて、広場をゆっくり歩き始める。それまでも見ていたはずのこの像の台座に刻まれた名前が飛び込んできた時、この像が初めて意味を持つ存在になった。お恥ずかしいながら、オーギュスト・コント(Auguste Comte: 1798-1857)だったのだ。頭の上でのんびりと休んでいる鳩を追い払おうともせず、初夏の朝の日差しを受けていた。

裏通りを当てもなく歩いているうちに、次第に生気が蘇ってくる。暫くするといつも入るオデオン近くの医学書店 Vigot-Maloine が見えてきたので、買いたいものはなかったが入ることにした。眺めているうちに4冊ほどに手が伸びていた。勘定の時、こちらの大学の先生か、ひょっとして学生であれば5%の割引がありますということを聞き、驚いた。そんなことは今までに一度も聞かれたことがなかったからだ。先ほどのVrinではケスのところにその旨の紙が張ってあり、今や自動的に割引いてくれるが、こちらにはその案内はなかった。今回はありがたく学割を使わせていただいた。おそらく仕事に忠実な彼女が天使に見えてきた。これからもっと頻繁に来るようにしますから、と言ってその店を出た。近くのカフェで少し早いデジュネを取っている時、ひょっとしてこの2日間のこれまでにない集中のためにそれらしい顔になっていたのだろうかなどという思いも浮かんでいた。以前は旅行者と思われていたか、そもそも学生ですかなどと聞くのは時間の無駄だと思われていた可能性が高い。


ブログを離れて僅か2日しか経っていないが、私にとっては1週間くらいの印象がある。おそらく、ブログを通して外に開かれていないために自らを取り巻く状況に集中できたからだろう。そして、このような時間は非常に貴重なものに思えた。これからもこのような時間を持ちたいものである。


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(21 mai 2008)

オーギュスト・コントで思い出したことがある。3年ほど前にパリに来たことがある。ある朝、ホテルの近くを散策している時に彼に出会っていたのだ。名前は知っていたが、どういうことをやった人かは知らなかった。しかし、将来どこかで繋がってくるのではないかと漠然と感じ、シャッターを押していた。こちらに来てから彼の考えを聞くことになり、大変な人だということがわかってきた。そして昨日の不思議な再会。こういう糸を見つける楽しみは尽きない。


 その時の写真を以下に再掲したい。




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19 mai 2015

感想をいくつか


この日の記事に付けたタイトルは、それ以降も本を手に取った時に最初に浮かぶ問いになった

勿論、中身の技術的な面についても学ぼうとしている

しかしそれ以上に、その背後にある人間に興味があるということになるのだろうか


僅か2日間ブログを休んだだけで異常に感じていた当時の精神状態

自らの中に再現することもできない

ただ、最後の最後での必死さは伝わってくる

夢遊病者のように歩いたこの日の記憶は、はっきりと残っている


このところ読み直して感心しているのは、昔はびっしりと、しかも毎日のように書いていたことだろう

別人だったことが分かる




lundi 18 mai 2015

"I remember Clifford" by Benny Golson

18 mai 2008

私が最初に演奏したジャズの曲について、先日のコメントで触れたような気がする

久しぶりに聴いてみたくなり、探してみた

すぐに見つかったのは、リー・モーガンが演奏しているもの

懐かし いアート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズ

そこにはこの曲を作ったベニー・ゴルソンがいる

それにしても、 皆さんお若い

では、お楽しみの程



 Tp : Lee Morgan
 Ts : Benny Golson
 P : Bobby Timmons
 B : Jymie Merritt
 Ds : Art Blakey


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18 mai 2015

今回、フレディ―・ハバードの演奏を加えてみた





もう一つ、ミルト・ジャクソンとベニー・ゴルソンのものも








dimanche 17 mai 2015

1年を振り返って(1)

17 mai 2008

今朝、目覚めてすぐにバルコンへ

紅茶のカップを口にやろうとした時 

目の前を真っ逆さまに落ちていく鳥を見る

お前さん大丈夫なの、と声を掛けたくなるような勢いだ

昼間には見かけない光景

朝の運動なのだろうか

しばらくして また・・・

古い階段教室で額を伝った脂汗から始った1年目は、昨日で終った。今は余りにも近すぎる過去なので、その全体が掴めない。これから時間とともにいろいろな顔を現してくれるだろう。ところで、ノートはA4より小型で200ページのものを使っていた。昨日それが丁度3冊目の終わりになった。この中にはほとんど忘れているが、見ると浮かび上がってくるであろう貴重な情報が詰まっている(はずである)。ただ、解読不能の文字に溢れているので、早めに見直しておかないと後で何のことかわからなくなることは間違いない。

この1年で、こちらに来る前に想像していた世界とは全く違う景色が私の前に現れてく れた。このノートは、目の前に茫洋と広がる新たな海を航海する海図のような役割を果たしてくれそうな予感がする。また、それを語っている日本では見かけたことのないタイプの人間が蘇ってくるだろう。今は気付いていない多くのものを刻み付けてくれたに違いない。折に触れ、それが顔を出すことを楽しみにしたいものである。

そんなことを考えていると

少々太めの鳩が寄ってきてくれた

ご同類と見たのか

警戒心も持たず

周りをきょろきょろしている


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17 mai 2015

ここで取り上げられているノートは、mémo と称して現在まで続いている

当時3冊だったメモは、今60冊を超えている

それまで一か月に1冊だったのが、1年ほど前から滞っている

受容する感受性が下がってきた証だろう

基本的な役割は、ほぼ終わったように見える

いずれにせよ、このメモがこれから貴重なものになるという感覚は時とともに増している  

このブログのように、溜まったものを少しずつ読み返すようになるのではないだろうか




samedi 16 mai 2015

パリの空、そして後期クール終了 Le temps changeant et la fin des cours

16 mai 2008

こちらに来て、天候で気付いていることがある。一言で言うと、変わりやすいということ。フランスで言えば、changeant となるだろうか。一日で、快晴、晴れ、曇り、雨、曇り、快晴を経験することが稀ではないのだ。日本にいる時には昼間から外の状況を観察してきたわけではないので何とも言えないが、これほどの変わりやすさではなかったような気がする。街を歩いていて雨が降り出すとどうして傘を持ってこなかったのかとよく悔いていたが、長続きしないことの方が多いと気付くと、少しどこかで雨宿りとか、雨に濡れるのも味なものなどとパリジャンを決め込み、気にならなくなってきた。雨とともにいるという感覚が生まれ、より自然に近付いたような気にもなってくる。要するに濡れたら拭けばよいだけの話で、生活のアクセントくらいに考えられるようになったのである。日本で仕事をしていたらそうは行かなかっただろう。雨は排除すべきものと考え、必死に傘をさしていたのではないだろうか。

ところで、後期のクールは今日ですべて終った。完全な解放感とは行かないが、それに近いものを感じた。よくぞここまで辿り着いたという思いがあるからだろう。先生の最後の言葉は "Profitez de vos vacances!" だった。英語だと "Enjoy" とか "Take advantage of" などを使うのだろうか。フランス語をよく見ると、本当にこの休みから何かを得るようにしなければ、などという考えが浮かんでくる。最後の仕事は残っている ものの、少しずつ考えていきたいと思っている。このように夏の時間を使うのは、おそらく生れて初めてではないだろうか。

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16 mai 2015

天候の変わりやすさも1年目で気付いていたのか、という思いである

それ以来、その変わり易さが何とも愛おしいものに見えてきたこともどこかに書いている

 その感情は、今も変わっていない





vendredi 15 mai 2015

怠惰を飼い馴らしながら En apprivoisant ma paresse

15 mai 2008
Aux étudiants morts pendant la Résistance
 Gaston-Clotaire Watkin (né en 1916 à Toulouse) 
@Jardin du Luxembourg

大学はまさに大詰めの始まりである。今、やっとのことで今日締め切りの宿題を終えることができた。手を付け始めてから1日である。手をつけるまでが苦し い。一体いつになったら始めるのか、という思いでいるからだ。そして残り1日で書かなければならないもう一つの苦しさがある。二重苦である。しかしこれまでの経験から、これ以外には自分のやり方はなさそうな気がしてきた。自らの怠惰に耐えながら進むしか道はなさそうである。

そう考えていた時、この 「耐える」 を 「飼い馴らす」 と言い換えると、気分が少し楽になることに気付く。この人生を歩む時、いろいろなものを apprivoiser していくのが賢いやり方なのかもしれない。それに気付き、それを実行できるようになるまでにどれほどの時間が必要だというのだろうか、私の場合には。

次は来週月曜までのミニ・メモワール。ほとんど手付かずである。これなどはどんな結末になるのか、今は予想もできない。

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15 mai 2015

最初からこの状態であったことが分かり、ある意味では救われるところがある

今まさに、7年前の今日と同じ状況に置かれているからである

当時を思い出し、糧にしたいところなのだが、、、





mercredi 13 mai 2015

メールのトラブル、そして杉からマロニエへ? Des problèmes de l'e-mail, et du cèdre au marronnier ?

13 mai 2008
L'acteur grec

数日前、元の職場から連絡が入った。私の退職が昨年の年度途中だったため、その間の研究成果をまとめて送ってほしいというもの。送り先として3つのアドレスが付いていたので、何としても報告書をもらおうという担当者の執念が伺えた。この間のやりとりで、いくつかのことが分かった。そのいずれに関しても、原因は未だに不明である。

数ヶ月ほど前からだろうか、日本で使っていたアドレスからは書類の添付ができなくなった。なぜかわからない。そこで、こちらに来てから作ったフランスのアドレスから送ってみた。しかし、日本の他の場所には問題なく送れるのだが、なぜか元の職場には届いていないという。そこで別のアドレスから送ると、今度は数字が多く現れる今までには見たことのない文字化けで全く判読不能との連絡が入った。
こういうことは今までにはなかったが、フランス版からコピーしたためだろうか。そこで新たに書き直すとうまく行ったようだ。しかし、その翌日にこのアドレスに来たメールにその場所で書いて送ったところ、これも文字化けとのこと。結局昔から使っているアドレスから返事を出すことになった。どうなっているのか、さっぱりわからない。

ところでこのところ鼻がムズムズしてきて、クシャミなどが出るようになっている。寝不足のための風邪とは少々症状が違うような気もする。そう言えば、最近いろいろな木々とのお付き合いを積極的にしている。スギの代わりにマロニエ・アレルギーということでなければよいのだが、、、
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13 mail 2015

読み直しても、書いてあることがよく分からない

その時は分かるだろうと思って書いているが、後で読み返すと分からないことが稀ではない

今回少しだけ手を加えたのだが、、、

逆説的だが、日常の具体的なことを時空を超えて理解可能にすることの方が難しいということなのか


これまで何度も書いているが、スギ花粉症のないパリは天国である

新しいアレルギーが始まったと思ったことは何度もあるが、その最初が初めての春だったとは・・・

今感じていることのほとんどは、最初の1-2年での経験が基になっているのかもしれない






mardi 12 mai 2015

リュクサンブール公園にて Au jardin du Luxembourg

12 mai 2008
 Le faune dansant (bronze, 1852)


連休最後の今日、散歩と森林浴をかねてリュクサンブール公園へ出かける





そして、すっかりやる気を失くして帰ってきた

パリのこの季節にすべてが緩みつつある



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12 mai 2015

この公園、このところ御無沙汰している

改めて見直してみると、この日の解放感溢れる気分がよく表れている写真である

すべてはファウヌス/パーンのあの姿を発見したときから始まった

それにしても緑が素晴らしい

その通りに、この目に映ったはずである






lundi 11 mai 2015

休日の朝、ジャン・リュック・マノー、そしてアンドレ・ケルテス Jean-Luc Manaud et André Kertész

11 mai 2008
Moselle (1991)

Reportage à 1.250 mètres de profondeur auprès des derniers mineurs français. Extraire une tonne de charbon coûte alors 700 francs, tandis que son prix de vente est de 500 ; ce qui signe la disparition d'un métier pénible et dangereux, si bien décrit par Émile Zola.

ジャン・リュック・マノーさんの作品「モゼル」

地下1250メートルで出会ったフランス最後の炭坑夫の顔

1トンの石炭を採るのに700フラン、その値段が500フラン

それが危険で大変な仕事が消えた理由になった

エミール・ゾラも名作 「ジェルミナール」 に書いている


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今朝もバルコンに出て 空とともに時間を過ごす

これ以上望めない快晴

太陽の日差しが痛い

テーブルには蜘蛛が引いた糸が太陽に反射している

今日の飛行機雲の軌跡は短い

あたかも海を行く小船を空から見る思いだ

鳥の囀りが何と心地よく聞こえることだろう

その主を知りたいものだ

そんな中、遠くから教会の鐘が聞こえてきた

すべてが溶け合っているかのような 休日の朝


バルコンに出る前、二宮正之訳のジードの記事を読む

訳者は二十代後半からヨーロッパへ

現在ジュネーヴ大学名誉教授

そこから森有正へ

学生時代「遙かなノートル・ダム」を読み、どこか遠くへ思いを馳せていた

それにしても、もう古書の仲間入りとは・・・

日本では読むことにならなかったエッセイ集成(二宮編)

覗いてみると何とよく入ってくることか

これから折に触れ付き合ってみたい、と思わせてくれる


ところで、私がたまに訪れる場所にル・モンドのブログ “Françaises, Français…” がある

そこでしばしば新しい人が紹介されているからだ

今回は、ハンガリー生まれでアメリカに帰化したこの写真家に出会った

  アンドレ・ケルテス André Kertész
(2 juillet 1894, Budapest - 28 septembre 1985, New York)

彼の人生とそのお姿は、上の二つのリンク先で

彼の作品には、例えばこちらで触れることができる


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11 mai 2015

 上の写真を撮ったジャン・リュック・マノーさんを調べてみたところ、今年亡くなっていた


紹介によるとチュニジアの南にあるガフサで生まれ、15歳までそこで育ったという

そのため、砂漠に生きる人たちの写真もあるという

上の炭鉱夫の写真で、昨年訪れたランスのことを思い出した

ルーブルが建っていたのが、炭鉱跡地だったからだ

 Louvre-Lens を訪問 (2014.10.5)


クロード・ベリ(Claude Berri, 1934-2009)監督による Germinal (1993) のトレーラーが見つかった








リュトブフの嘆き "La complainte de Rutebeuf" - Gantz

11 mai 2008

先日、中世の詩人リュトブフについて紹介した

その詩人を紹介してくれたフランス人で、現在アメリカにいるFから新たな連絡が入った

先日もリュトブフの詩が現在も歌われていることに触れた

今回は現役バリバリの歌手が歌っているのできっと気に入るだろうとの言葉を添えて送ってきた

Gantz というフランスのグループで、Fが日本にいる時にツアーで来た彼らに会ったとのこと

興味のある方のために、以下にアップした

なお、Fからは 「ボリュームはできるだけ上げて!」 とのこと

お楽しみの程



La complainte de Rutebeuf --- Gantz

Un malheur n’arrive jamais seul
Tous ceux qui devaient m’arriver
Me sont advenus. Que sont mes amis devenus ?
Que j’avais si près tenu. Et tant aimé
Je crois qu’ils ne furent pas bien semés
Ils furent trop clairsemés. Et ainsi sont disparus.
De tels amis m’ont mis en mauvaise situation
Car jamais aussi en moins côté
Je n’en vis un seul en ma maison
Je crois le vent les m’a ôté

L’amor est morte. Ce sont amis que vent emporte
Et il ventait devant ma porte. Ainsi emporta
Nul ne me conforta. Ni du sien ne m’apporta
Ceci m’apprend ! Qui a des biens en privé les prend
Et s’il trop tard se repend de son avoir. Pour faire amis.
Qu’il ne les trouve à moitié à lui porter secours

Or laisserai donc fortune aider
M’entendrais à moi, secourir. Si je puis faire
Il me faut aller trouver mes bons seigneurs
Qui sont courtois et débonnaires. Et m’ont nourris
Mes autres amis sont tous pourris
Je les envoie à maître vidangeur et les lui laisse
On en doit bien faire son lais

En tels gens laissés en relais sans réclamer
Il n’y a rien en eux à aimer
Que l’on doive à amour clamer !


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11 mai 2015

最近のYoutubeは、次から次に曲が出てくるようになっている

五月蠅い時もあるが、思いも掛けないものが出てくることもある

ガンツの次に出てきた曲も悪くなかったので、以下にアップした




今日の雰囲気には合わないが、ポーランドからの歌声も・・・

切りがないが、7年前の今日とのコラボという雰囲気もあり、面白い





上の記事を読んでまず思ったのは、そう言えばFは今どうしているのかということだった

その後の7年間、コンタクトしていなかったのではないだろうか

今でもこの世界のどこかでフランス語を教えながら生活しているのだろうか







dimanche 10 mai 2015

学割と老人割引 Réductions pour les étudiants et les les personnes âgées

10 mai 2008

こちらで学生になってから、生活のやり方や考え方にいろいろな変化が見え始めている

ひとつは生活をできるだけ簡素にするようになっている

そうせざるを得ないからだろうが、私の理想でもある

それは倹約ということをも要求するようになる

そこで以前と同じような生活をしようとすると、社会が提供するサポートに頼らざるを得なくなる

先日の図書館の発見などそのよい例かもしれない

雑誌など買う必要もないし、その場に行くと今まで読んでいた以上の情報が 手に入るようになる

CDやDVDも然り

また、この冬のある日のこと

近くのお店で支払いの列に並んでいる時、前の人の肩にスケートが見えたので聞いてみた

すると、この界隈にスケートリンクがあるという

なぜか日本からホッケー用のスケートを持ってきていたので、これも利用できる

さすがにスキーは置いてきたのだが・・・

この社会が(勿論、われわれの税金で)提供しているサービスに目が行っているのを感じる

日本ではこのような視点はほとんどなかったので新鮮である

お金を出している方としては当然のことだと言ってしまえば、それまでなのだが・・・

同様のことが、他にもいろいろありそうである

これから事あるごとに、周りを見回すこ とになるだろう

先日のこと、いずれ学割と老人割引の両方が使える日が来ないものかと考えていた


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10 mai 2015

その後、そのような日は来ないことが分かった

当然だろう

学割か老人割引のどちらかが使え、両方とも同じ割合になっていることが多い





samedi 9 mai 2015

夏模様 L'été est déjà là ?

22h, 9 mai 2008

 今日は解放感で目が覚める

11時から始るクールに向かう

街ゆく人はもう夏の装い

冬から抜け出たような人は私くらい

講堂に向かうも、いつも待って いる人が一人もいない

後で数人の学生が来たので聞いてみると、お休みじゃな~い、という感じ

解放感がさらに広がる

掲示板には後期の試験の日程が発表になっていた

1週間後にもう一つのミニ・メモワール

口頭試問は2週間後と6月初めとなっていた

いよいよ大詰めといったところである



大学前の広場も夏模様

カフェも全開である

近くのVrinでフーコーのコレージュ・ド・フランスでの講演集を仕入れる

それを向かいのカフェで読み始める


それからルクセンブルグ公園の方へ足を向ける

日本の友人が新緑のパリの写真を求めていた

公園周辺のマロニエの並木道にいつも展示されている写真を合わせて撮る

白のマロニエとともにピンクと赤の中間くらいの色のものもある

本当に気持ちのよい季節になってきた

わたしの方はもう少しの辛抱ということになるのだろうか






この日曜日がPentecôte聖霊降臨祭)で、翌日の月曜日が"lundi de Pentecôte"

フランスなどヨーロッパ諸国ではお休みということが判明

実は昨日がヨーロッパ戦勝記念日8 mai 1945)だったので、今日を"faire le pont"すれば5連休

先週から始る大型連休だったことがわかった

こちらではどこかに浮いている精神に住んでいて、未だ現実感がないということかもしれない



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10 mai 2015

上の写真を前の場所で見た時には、かなり前の古びたものに見えた

この場に置いて1日が経過すると、この連休中に見た景色のように感じてくる

実に不思議である

 ただ、7年前に感じた 「夏!」 という昂揚感はそこにはない今年ではある

それは、慣れが齎しているものなのかも知れない





締め切りの夜に A la nuit de la date limite

2h, 9 mai 2008

昨日の夕方、バルコンに出て暫しの間空を行く鳥を眺める ・・・・ 鳥になって

部屋に戻ると轟音が聞こえる

5センチにはなろうかという蜂が悠々と飛び回っている

少し慌てたが、しばらくするとどこかへ飛んで行った


ミニ・メモワール締め切りの夜、バルコンで読み、メモを取る

9時半を過ぎると目が霞んできた

部屋に入り最後のまとめをする

何とか真夜中には終わらすことができた

より正確には、終わりにした


もちろん満足がいくところからは遥かに離れているが・・・

今の状態では致し方ないだろう

いつものようにどうして普段から、という思いが過ぎる

これまではそれを責めていたのが・・・

今回はそういう人なのだから、と受け入れていた

その方が楽になれるからだろうか

このやり取り、当分の間続きそうである


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14 mai 2015

空行く鳥と眺める楽しみは、飛行機雲を眺める楽しみとともに今に続いている

この大きな蜂は、その後も何度か部屋に入ってきた

次第に蜂が仲間のようになり、蜂の気持ちに寄り添いながら眺めるという心境になってきた


当時は、真面目に論文に向き合っていたようだ

ここ数年は学生を卒業したような気分で生活していた

 今回、7年前と共に歩み始めてみると、少しずつだが学生の心境が戻りつつあるようにも感じる





jeudi 7 mai 2015

「科学の前にヴェールを脱ぐ自然」 La nature se dévoilant devant la science

7 mai 2008
La nature se dévoilant devant la science
Louis-Ernest Barrias (1841-1905)
@Univ. Paris V


自然が科学の前にベールを脱ぎ、その姿を現わそうとする像である

ルイ・エルネスト・バリアスの作品

1889年にボルドー大学の新しい医学部のためにバリアスが依頼されたとのこと

それ以来、いろいろなバージョンが作られているようである

この像にはこれまで何度もお目にかかっている

パリ第5大学の医学図書館に向かう階段のホールに置かれているからである

以前にもここで階段の上から撮った写真を紹介したように記憶している

しかし、その時はその意味にまだ気付いていなかった

目を凝らすと、この町にあるいろいろな歴史がそこら中から浮かび上がってきそうである


オルセー美術館(Musée d'Orsay)にある作品はこちらから観ることができる


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7 mai 2015

ボルドー大学の像は、去年の訪問で拝んでいる

以下の記事にその写真がある

パリのものより鷹揚であり、大胆でさえある



7年前にボルドー大学の像について触れたことは、すっかり忘れていた

このような繋がりを見つけるのも新たな発見に入るだろう

小さな楽しみが増えたことになる





mercredi 6 mai 2015

尻に火が付かないと、あるいはエレーヌ・シュミット Ce que je ne comprends pas, ou Hélène Schmitt

6 mai 2008

春休みが終わり、1年のまとめの時期に入っているはずだが、全くその気にならず困っている。大体私の性向がわかってきているつもりだが、一体どうするつもりなのか。前期で拍子抜けしてしまったのだろうか。明日までにミニメモワールを一つ、その1週間後にもう一つの締め切りが迫っている。前者は休み前までに70%くらいまで来ていたが、休み中は手付かず。来週のものについては全く手が付いていない状態である。その他にも口頭試問の準備などが控えている。

先日、直木賞をもらった女流作家のインタビューに行き当たった。彼女の日課は次のようなものだった。毎朝2-3時間で10-15枚書いて仕事は終わり、午後は外に出て出版社で打ち合わせたりする。そして夜1冊読んで寝るらしい。この数字を見て、根拠のない安心感が襲っていた。ミニメモワールは10-15枚程度なので、彼女の半分の仕事量でも2日で終る。メモワールが50枚としても1-2週間で終る計算になる。実際にはそうは行かないことはわかりきっているのだが、数字の魔術で気分が晴れていた。その晴れたままの状態でここまできているようだ。彼女は締め切りぎりぎりになって間に合わなくなることを恐れているために、規則正しく余裕を持って書く習性が付いてしまったとのこと。私の場合は、尻に火が付かないとやらないというタイプに間違いなさそうである。

それからこちらに来てからの精神状態を振り返ってみると、あることに気付く。それは一つのことに打ち込もうとすると、他の多くのことが気になってそれができないのである。これだけ異なる内容のことを平行してやることなど、学生時代以来なかったからではないだろうか。そのため結局どれも打ち込むことなく締め切 り間際になり、他のことを無視してできる期間として数日を用意していたようにも見える。

ところで、先日紹介したエレーヌ・シュミットさんのバッハ。全くの偶然で借りてきたものであるが、語りかけてくるような、やや肉感的なそのバッハが気に入りつつある。

(I: BWV 1001, 1002, 1004; II: 1003, 1006, 1005)  


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7 mai 2015

こちらに来た当初から同じことを言っていたのに驚く

その意味では、全く学習していない

今改めて言うとすれば、「尻に火が付いるはずなのに」 となるだろう

何か一つのことをやり遂げるというのではなく、どこまでもアマチュア(amateur)を貫きたい

そういうことなのだろうか





mardi 5 mai 2015

ザビエル・ビシャー Xavier Bichat

5 mai 2008
 

マリー・フランソワ・ザビエル・ビシャー
(14 novembre 1771 - 22 juillet 1802)


この方と今読んでいる本の中で出会った。

ルイ15世の統治下に生れる。リヨンでアントワーヌ・プティ(Antoine Petit)の下で医学の勉強を始める。しかし、フランス革命が始まり、ジロンド派を受け入れたリヨンは1793年に攻囲され大虐殺が行われる。彼はパリで医学の勉強を終える。


L'Hôtel-Dieu

1800 年には29歳の若さでパリ市病院(l'Hôtel-Dieu)の医師に任命される。この間、膨大な解剖学の研究を発表。そのため健康を害し(結核性髄膜炎か)、病院の階段から落ちて亡くなる。わずか30歳であった。現在、ペール・ラシェーズに眠っている。彼の仕事は、死体解剖により生理機能を明らかにしようとするもので、特に組織の概念を打ち立てた。顕微鏡は用いなかったものの組織学の祖と呼ばれている。また生物現象を物理学や統計学を持ち込んで説明しよ うとする考えや集団における平均という考え方には猛烈に敵意を示した。彼の著作はショーペンハウアーも読んでいたようで言及されている。ビシャーの哲学を表す言葉として、次のものが有名である。

« La vie est l'ensemble des fonctions qui résistent à la mort »
「生命とは死に抗するすべての機能である」

彼の死後、Jean-Nicolas Corvisartはナポレオン・ボナパルトに次のような手紙を書き送っている。

« Personne en si peu de temps n'a fait autant de choses et si bien »
「これほどの短い間に、多くの仕事をこれほど立派に成し遂げた者はいない」

また、ギュスターヴ・フローベールは次のような賛辞を送っている。

« La grande école médicale française est sortie du tablier de Bichat »
「偉大なフランス医学はビシャーの仕事から生れたものである」

エッフェル塔には72賢人の名前が記されているが、その中に彼の名前が含まれている。
興味深いのでご覧いただきたい(soixante-douze savants)。





dimanche 3 mai 2015

飛行機雲、あるいはポール・ボウルズ Les traînées des avions ou Paul Bowles

3 mai 2008

今日の午前中 久しぶりにバルコンに出て 空を眺めて過ごす

気持ちのよい季節になってきた

面白いように 次から次に 飛行機雲が現れる

どこからともなく 気持ちよさそうに

バルコンの壁の配線のように伸びていた蔦には緑が溢れている

週末のこの空とともに過ごすために パリにいるかのようだ


春休み最後の週末

当初の予定は片付かないまま いや手付かずのままだ

やらなければならないと決めた時には その気が失せている

それ以外に向かうのだ

この休みにもいろいろな人に出会った

昨日はポール・ボウルズ(Paul Bowles, 1910-1999)に

モロッコのタンジェで後半生を過ごし その地で果てたニューヨーカー

音楽家 作家 永遠の旅人 ...

彼の人生に現れるアーロン・コープランド ヴァージル・トムソン ガートルード・スタイン ...

この心に翼が生えてくるのが見えるようだ





samedi 2 mai 2015

バッハ、そして九鬼周造という人 Bach, et qui est Shuzo Kuki ?

2 mai 2008

昨日がLa Fête du Travailで今日が金曜日なので、日本で習ったフランス語で言えば、まさに "faire le pont" して4連休にできることになる。昨日はこの辺りの街には人が少なかったが、今日はのんびりとした雰囲気で多くの人が繰り出していた。郵便局に寄った後、図書館でバッハのCDを借りて帰ってきた。例えば、

JS Bach "Sonatas & Partitas" (BWV 1001-1006) Hopkinson Smith (luth baroque)
JS Bach "Sei Solo a Violin senza Basso accompagnato - I, II" (I: BWV 1001, 1002, 1004; II: 1003, 1006, 1005) Hélène Schmitt (violon)

ホプキンソン・スミス氏は1946年ニューヨーク生れのアメリカ人で、大学卒業後ヨーロッパに渡り、現在はスイスのバーゼルに住んでいる。一方のエレーヌ・シュミットさんは、今年の6月に日本公演をするようである(詳細はこちら)。この他に4枚借りたので、今夜はいろいろなBachを聞き比べながらの夜長になりそうだ。


ところで以前にいただいたコメントの中に、九鬼周造と同質のものをこの場に見ているというような言葉があったように記憶しているが、それ以来この方が気になる存在になっている。その思いがこの休みに顔を出した。

九鬼周造 (1888年2月15日 - 1941年5月6日) 京都大学・日本哲学史研究室の紹介

私が唯一知っている「『いき』の構造」などの作品に触れる機会はまだないが、ネットをサーフしている時に松岡正剛氏による解説に出くわしたので読んでみた。原典に当たってみなければわからないが、彼が自らの存在をどのように捉えていたのか、あるいは彼がどのように外界と接していたのかについて読んでいる時、確かにある共通点はありそうな気がしてきた。その解説の中にあった九鬼の言葉を引用してみたい。

「松茸の季節は来たかと思ふと過ぎてしまふ。その崩落性がまたよいのである。(中略)人間は偶然に地球の表面の何処か一点へ投げ出されたものである。如何にして投げ 出されたか、何処に投げ出されたかは知る由もない。ただ生まれ出でて死んで行くのである。人生の味も美しさもそこにある」

「私は秋になって、しめやかな日に庭の木犀の匂を書斎の窓で嗅ぐのを好むやうになつた。私はただひとりでしみじみと嗅ぐ。さうすると私は遠い遠いところへ運ばれてしまふ。私が生まれたよりももつと遠いところへ。そこではまだ可能が可能のままであつたところへ」

ただ、この解説を読む限りでは、この方の考えや生き様にもの凄い湿気を感じてしまい、ついていけるのかどうかわからないという印象を持ってしまう。しかし、いずれこの肌でその感触を味わってみたいという思いに変わりはなさそうである。