dimanche 2 octobre 2016

詩人ジャン・ルイ・ジョヴァノニさんとの出会い、改めて偶然とは

2 octobre 2009

Jean-Louis Giovannoni (né en 1950)


このラントレを迎えてから、アパルトマンのビルから第一歩を外に踏み出した一瞬に、古代人が毎日狩りに出る時に思い描いていたと想像される思いが過ぎる。今日は一体何を収穫できるのか。

今月の初めになる昨日はお昼から外に出ることにした。近くのカフェでやるつもりで向かったが、丁度デジュネ時でいつものカフェ数軒が満席。仕方なくメトロで街に出ることにした。まずセーヌ脇のカフェで2時間ほど読みかけの本を読む。昨日の影響か、周りに溢れている微生物とともにいることを感じる。椅子に触る時、水を飲む時、そしてカフェを飲む時も。目の前の樹の中にも溢れているはずだ。寒い風が吹いていたせいか、よく集中できた。

それから当てもなく歩き、途中で小さなリブレリーに入る。久しぶりに Le Point の特集に目が行く。ペタン政府をなぜフランス人は熱狂的に愛し、ある時を境に全く見向きもしなくなったのか。なぜ同じフランス人がこういう態度をとったのか、という問を投げかけている。これはフランス人に限らず、人間は、と置き換えることができる問いになるだろう。この時代を扱った " Le naufrage - 16 juin 1940 " という本が10月15日に出る機会にその抜粋を載せている。

2軒目のカフェでこの記事を含めて Le Point の文化欄を読む。ここでも集中は全く切れず。久しぶりなので気分がよくなり、夕方になっていたがさらに当てもなく歩く。そこでこのリブレリーに入ることになった。




お店により強調されている本が違うので、いつも発見がある。ここでも2-3冊気になる本が見つかった。しばらくすると、マイクのテストや椅子のセットアップが始まった。聞いてみると、夜に詩人の朗読会があるという。店員の応対が非常によい。思わず机の上に並べられていた本から次の2冊を仕入れる。

" Ce lieu que les pierres regardent : Variations, Pas japonais, L'invention de l'espace "
" Garder le mort "

時間があったので近くで簡単な食事をして戻ってみると、丁度始まったところであった。






上の2冊から5編ほど朗読。死、体、他者、運動など哲学的な要素もある詩であった。終わってから質疑があり、2時間ほどで終わった。お店の方が飲み物を出してくれたので、赤ワインを含みながら横になった方と言葉を交わす。この詩人はかなり前から読んでいるという。それから何かの縁だと思い、本にサインをしてもらう。そして、少し雑談をする。

例えば、最初の本の冒頭にはヘルダーリンの次の言葉が引かれているので、なぜなのかを聞いてみた。

   "Tout est un intérieur
    Et pourtant sépare."

ジャン・ルイさんは、これを読んだ時に何かがどんと入ってきたと言って胸に拳をあてた。自分の中にもやもやとしてあったものがここで言われていると感じたようだ。その感覚は、外にあるもの、初めて出会うもののすべてが実は自分の中に前からあったように感じるということになるのだろうか。われわれの体が免疫というシステムで外に対する時、これから出会うものに向かうものはすべて体に備わっている。外にあるものと同じイメージが体の中にすでにあると主張する人さえいる。年代から言うとヘルダーリンが免疫のことを描いていたとは考えにくいが、科学者の方が文学から霊感を得ることはあり得るだろう。

それから、このことを聞いてみた。今夜のあなたの朗読会は全くの偶然で聞くことになった。この人生はこの偶然 (le hasard ; les contingences) で溢れている。それで成り立っていると言ってもよい。いつもその意味を考えるようにしているが、あなたはこのことをどう思うか、と。彼の答えは、全くその通り。ただ、その偶然に気付くかどうかは、ここでもよく話題になる 「開いているか」 「閉じているか」 で変わってくる。開いていること、開く用意ができていること、これが人生を豊かにするかどうかを分けているのではないか、とのこと。パスツールの言葉を待つまでもなく、そこには真理がありそうである。

今日の意味は今はわからない。いつかその意味が浮かび上がることを期待して、その記録としてブログに綴っているのかも知れない。






samedi 1 octobre 2016

「地獄の微生物」 からアメリカのシンポジウムへ

1 octobre 2009

昨日はお昼前に研究所へ向かう。
その前にサンドイッチのデジュネを道端に佇みながら取ってみた。
違和感は全く感じなかった。それどころか、なかなかよい。
それから研究所へ。

まだやる気にならないようだ。
展示されていた 「地獄の微生物」 を読み始める。
その中に出ていた人物を探ったところ、あるシンポジウムに辿り着いた。
2年ほど前にイリノイ大学で行われたシンポジウムで、数人の話を聞く。
生物界の成り立ちから生命の起源などにも至る。
微生物に溢れたこの世界。
非常に面白い。
見えない世界が見え始める喜びがあった。

それにしても、アメリカの科学者は相変わらず元気がよい。
フランスの研究者も出ていたが、比べるとおとなしく、柔らかく見える。
哲学が入る余地がありそうなのは、やはりヨーロッパの方だろうか。
大陸的哲学はアメリカの科学者の前では吹き飛んでしまいそうに見える。

帰りにしばらく歩いてからカフェに入り、当初の予定を少しだけやる。
遂に10月に入った。
秋は確実に進行している。



vendredi 11 décembre 2015

ハーマン・マラーという科学者 Un scientifique qui s'appelle Hermann Muller

11 décembre 2008


今日は朝からクールに出かける。この季節の朝は30分違うとその景色が別物になり、気分も変わってくる。昨日は会の開始が9時半だったので、出たのは8時半。早朝の街を歩く感じだったが、今朝は9時開始なので8時に出たので夕方とあまり変わらない街を歩いていた。ただ空気の新しさはそこにあるが、、

先週取り上げたトーマス・モーガンの最も優秀な弟子にして最も師に逆らったハーマン・J・マラーHermann Joseph Muller, December 21, 1890 – April 5, 1967)。X線による変異の研究により1946年にノーベル賞を貰っている。この研究の過程で、遺伝子を想像上の概念と考えている人が少なかった時代において、そこには物質的基盤があることを信じるようになる。ウィキで見るとその人生は大きく揺れ、複雑である。その一つの側面に次のようなものがある。

遺伝子や遺伝という現象を扱うとそれを使って人類に対する貢献をしたいという考えが生まれるのだろうか。彼の師のモーガンに見られた優生学的思想が、彼の中ではさらにはっきりした形になってくる。例えば、精神病を持つ家系の不妊手術を勧めている。彼の場合は共産主義に共感を持っており、ナチがやったような人種差別思想に基づくものではなく、むしろ理想主義の色彩を持ったものであった。しかし、彼の1940年代の講演を読むと、教養の程度と子供の数が逆相関するというような表現が出てくる。不妊手術により家族の苦痛を和らげようという考えがあったのだろうか。この考えを実行に移すために、スターリンともコンタクトを取っていたようである。この時期は、優生学的に劣っているとされる人を減らそうとする、ある意味ではネガティブな態度であった。しかし、第二次大戦後はその態度を完全否定するのではなく、ポジティブな態度への転向を図った。ナチのように身体的に優れた人種を創るという考えではなく、利他主義や他人への関心を示す心を持った道徳的に優れた人種を創れないかと考えたようである。その流れの中で精子バンクを提唱したのだろう。

このような歴史を見ていると、科学の進歩により生まれる概念的、技術的な新たな可能性を前にした時にどのように対処しなければならないかの教訓が含まれているように感じる。科学の成果を瞬時の熱狂だけで受け止めるだけでよいのだろうか。その中に含まれる数々の問題を、冷静に、幅広く、深く、科学精神を以って考えることが求められるのだろう。これからの科学の発展にはわれわれが考えなければならない大きな問題が内在することが多くなるように思われる。先日も触れたある枠を離れてものを見直すという哲学的な態度がここでも必要になるのだろう。

街にはノエルの飾り付けが溢れている。商売をしている所だけではなく、市役所でも郵便局でも公園でも家々の周りでも。軒を連ねた小さなお店が広場や教会の近くに現れている。そこに流れる空気を味わっている。



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jeudi 10 décembre 2015

ドクター発表会、そしてジャック・ヴェトリアーノ Journée « doctorants entrants » et Jack Vettriano

10 décembre 2008



今日は朝からドクター1年目の学生さんの発表会に参加。9時半から5時まで8人の発表を聞く。この会をオーガナイズしている先生は、最近産んだばかりのお子さんを抱え、あやしながらイントロのお話をしていた。日本ではなかなか想像できない光景であった。会の進行は15分のエクスポゼの後に15分のディスカッションが用意されていた。それぞれのテーマは、量子力学理論の解釈の多様性、バシュラールによる帰納の解釈、生物の定義とemergence (創発)、生物学における概念の問題、plasticityの問題(ニューロンでのお話ではなく、広く生物の持つ特徴としてのお話)、進化医学といわゆる医学の知の関係、進化に対する経済学的アプローチ、専門家とは何か、となっていた。

これだけ幅のあることになると理解するのは大変ではあるが、頭の柔軟体操にはなるだろう。いずれにしても体力がともなっていなければ集中力も維持できないことだけは間違いなさそうだ。ところで、彼らの話を聞きながら、もし来年テーズに進むとした場合には、という別の頭の体操をしていた。そうすれば、今から1年後にはこのような過程を経なければならないのである。それがこのわずかの間に可能になるだろうか、という率直な疑問が廻っていた。しかしこれは今考えても仕方のないことなので、その体操は途中で止めてしまった。

昼休みにはカルチエ・ラタンを散策。デジュネの後、大きなポスターを置いている店で400枚ほど見る。その中に初めての人がいた。
ジャック・ヴェトリアーノ (Jack Vettriano, born 17 November 1951) 

それだけを見ていたら何の印象も残さなかっただろうが、有名なフランスやイタリアの歴史上の芸術家の間に突如現れた時、新鮮な空気が流れてきた。余りにも現代的でコマーシャリズムの匂いさえ漂う絵ばかりだったので、アメリカの画家ではないかと思った。それらは乾燥した現代の風景を素人目にはそれほどの技巧も使わず描いていて、どれも何ということはない絵ばかりなのだが不思議な感覚が襲ってきた。帰ってウィキに行き、彼がスコットランドの画家で、絵は16歳で学校をやめてから趣味として始めたので独学であることを知る。


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dimanche 27 décembre 2015


 この記事の前段にある頭の体操は、こちらに来た当初からやっていたように思う

僅か3か月、半年で提示されているプログラムを処理できるのかという疑問がその核にあった

以前にも触れていると思うが、そこで対照となったのが日本のフランス語学校での経験である

しかし、実際にその中に入ると大きな化学変化が起きたように思う

その繰り返しでここまで来たのではないだろうか

教育の過程とはこういうものだったのかということを身をもって経験していたことになるだろう

 



mercredi 9 décembre 2015

M1という時間

9 décembre 2008



今朝はクールのために科せられた論文を何とか読み終えてから出かけた。12月に入ってから何かが変わってきているようだ。今まで自分の中にあった話すことへの抵抗感のようなものがなくなってきたのがはっきりとわかる。これまでの状態は、フランス語を母国語とする人の間にいるとどこかに躊躇するところがあったり、恥ずかしさがあったのが、そのわだかまりがどこかに消えていったようなのだ。こういう大きな変化は徐々に何かが変わってきた結果なのだろうがそれに気付くことはなく、突然壁の崩壊という形で現れる。その1週間前でさえこのような状態になるとは想像もできなかったのである。こういう道に入ると、ただ当てもなく前に進みながらいつ訪れるか分からないその時が来るのを待たなければならないのだろう。これから先、どのようなその時に巡り合うことができるのだろうか。

終わって外に出ると、白い物の混じった重たい雨が降っていた。その雨に打たれながら、イタリア広場のあたりを散策する。昨年3月にこちらに来た時に泊まったホテルが広場の近くにあったので、ここに来るとなぜか懐かしい。それから久しぶりにマスター1年目に通った教室の前にある掲示板を見に行く。こちらでも切ないくらいの懐かしさを感じていた。日本では仕事をしていたためか、こちらに来た時には自らの青春時代にタイムスリップしたかのようで、すべてが新鮮で光り輝いて見えた。苦しい1年間ではあったが、今では何物にも代えがたい貴重な時間の塊がそこにあるのがわかる。今戻ってもあの感激は味わえないだろう。私の場合にはM1から入らなければ適応できなかったことがはっきりしているのである意味では避けられない道だったのだが、今振り返るとそれ以上のものを残してくれたように感じながらサンミシェル通りを歩いていた。



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samedi 26 décembre 2015


 ここに書かれてある「突然壁が崩れる」感じというのは、よく分かる

フランス語を人前で話す恥ずかしさのようなものは、こちらに来てからずーっとあったものだ

その抵抗感を消すことはできなかった

それがこの時に嘘のように消えて行ったということだろう


同様のことは、一々記録には取っていないが、他にもあったのではないかと思う

そのような大小の壁が次第次第に取り払われ、最後にはスートゥナンスに至ったのだろう

スートゥナンスは一年前にも見ていたが、その中に自分が入るということは想像だにできなかった

しかしその日、満足のいくものではなかったが、 何の抵抗感もなくその場に立っていたのである

そのためには8年の時が必要だったということになる

 上の記事にもあるが、マスターでの時間がなければ、それは叶わなかったのではないか

時の経過とともに、マスターでの時間が貴重なものであったことが見えてくる





mardi 8 décembre 2015

正気を保つための場所?

8 décembre 2008 

(le 15 mai 1903 - fusillé le 17 février 1944 à Arras)


昨日の余韻が残っていたようだ

これまでハンモックとこの場所でその時々に去来するものを書き綴ってきた

それはまさに専門を離れ、意識に枠をはめず、考えを羽ばたかせるという作業の繰り返しであった

それこそ無意識のうちに哲学していたのではないか、という思いとともに目が覚めた

昨日勢いに乗って出てきた「正気を保つ」という言葉

このためにも必要なことだったのかもしれない

それとも 「狂気の沙汰」 への序章だったのだろうか・・・



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samedi 26 décembre 2015
  

当時はブログを続けることの意味がはっきりとは理解されていなかったようだ

そこが哲学する場になっていたという認識は、外れてはいないだろう

対象を目の前にして、それについて観察し、考えるという姿勢があるからだ

ただ、今となってはさらに大きな意味が見えてくる

それは、生きるために必須の営みではなかったのかということである

その営みにより、生きる力を与えられたということである

それにより正気が保たれたとも言えるのかもしれない

 それが意識的だったこともあれば、無意識の内に進められたこともあったのだが、、、

 これこそ、哲学が生きるために不可欠であることの証に他ならないだろう

 この点は、これまでいろいろなところで触れている

わたしの一つの到達点になるだろう




lundi 7 décembre 2015

ハンナ・アーレント 「精神の生活」 La Vie de l'esprit - Hannah Arendt

7 décembre 2008



このところ冷え込みが厳しさを増しているように感じる。今日は午後から読むために資料持参で出かけた。やる気だったようで、寂聴源氏を持たずに出ていた。先日も降りたレピュブリクでしばらく散策。その時に入ったリブレリーに再び入る、今回はハンナ・アーレントHannah Arendt; le 14 octobre 1906 - le 4 décembre 1975)を手に取っていた。
La Vie de l'esprit (精神の生活)

その時に何を手に取るのかは、いつもスリリングである。しかもそれがよく入ってくるものだった時にはある種運命的なものを感じる。そのような瞬間をいつも待っているような気配もある。彼女の名前はもちろん聞いたことがあり、その人生が少しだけ耳に入ってきたこともあるが読もうとは思いもしなかったし、そんな時間もないだろうと考えていた。しかし、今日は予定した資料は持って出たものの、どこかまだゆっくりしたいという気持ちを抱えていたようだ(例の怠け心である)。そのタイトルに惹かれたのかイントロを立ち読みを始めたところ、幸せな驚きが襲っていた。彼女はこんなことを考えていた人だったのかという思いと、その対象が今の私の中にあるテーマと余りにも重なっているので目を見張ったのだ。

その時の印象をもとに書いてみたい。確度の保証のない瞑想になる。帯には "Le dernier Hanna Arendt" とある。解説によると死後に出された本のようだ。彼女はアイヒマンのイスラエルでの裁判を傍聴し、その報告を出しているが、そこでの経験を語っている。昔から悪は悪魔の形相で現れると言われているが、この裁判で感じたことはそれとはまったく異なるものだったようだ。それを彼女は "banalité du mal" と形容している。悪が余りにもありふれた姿しか見せなかったためのものだろう。深い悪意があったわけでもなく、ましてやその哲学があったわけでもない。そこで感じたのは考えることの欠落 (manque de pensée) であった。この本で考えるとはどういうことなのかを考えてみたいという意図があったのだろう。それを職業思想家(カントの Denker von Gewerbe という言葉を知る)に任せておいてよいのかという思いもあったようだ。

この思索の欠落はまさにわれわれすべての問題であることがわかる。われわれは日々の仕事や日常に追われ、考えることをしなくなっている。日常の中ではなく、仕事の中でもなく、そこから離れてものを見直すことができなければ考えたことにはならないからだ。この状態はわれわれの中にすでに悪の種が宿っていることにはならないだろうか。しかもそのことに気づくことはない。哲学が役に立つか、立たないかという問を未だに目にするが、哲学こそわれわれの正気を保つために必須のものであることを職業哲学者はどうして説かないのだろうか。それから彼女は la vie active と la vie contemplative の対比を出してくる。前者はある意味で日常生活をすること、後者は一人の世界に入って思索することを意味しているのだろう。この両者をどのように捉え、どう扱ってゆけばよいのか。この疑問もここ数年私の中に生まれており、前ブログから触れている。

さらに哲学、形而上学をどう扱うのかという問題も出てくる。科学の台頭のもとに哲学、形而上学を捨てたことにより、われわれが失ったものはないだろうか。その結果、われわれに見えてくるものも失われていないだろうか。先日、科学者の国際会議で哲学をどのように見ればよいのか、哲学と科学の関係はどうあるべきなのかについて私見を発表した際に予想外の反響があったことは、このことに科学者も気づき始めているということなのだろうか。ロゴスをもとにした考えから生まれるもの、その世界と感覚で捉えられる世界との乖離に気づいた時、人は哲学、形而上学に向かうという。科学哲学者カルナップはハイデガーを生贄として哲学は詩と同じだと過小評価したらしいが、彼女は詩も哲学もまさに考えるという共通の行為から生まれると考えているようだ。ただ、哲学を捨てることにより過去の蓄積の呪縛から解き放たれ、全く新しい目で過去を見ることができるという側面もあるだろう。

しかし、どうだろうか。これは最近の感触にしか過ぎないが、哲学や形而上学の香りのない世界から真に新しいものが生まれる可能性はあるだろうか。そういう疑念が生まれている。少なくともそこは余りにも無味乾燥で底の浅い世界にしか映らなくなってきている。それはそのまま、そのような香りが漂っている世界で生きていきたいという私の願望を反映しているのかもしれない。いずれじっくり読んでみたい人を新たに発見する散策になった。


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samedi 26 décembre 2015


その後わたしが考えることになる核のようなものが、ここで芽生えていたことが分かる


今では一般的な問題を超えて科学にも形而上学的思索を持ち込む必要があると考えている

それを「科学の形而上学化」と呼び、自然のより深い理解には欠かせないと考えている

この過程については、まだ練り込まなければならないのだが、、






dimanche 6 décembre 2015

今年の年の瀬

6 décembre 2008



ラジオから流れるクリスマス音楽の頻度が増えてきた印象がある。なぜか浮き浮きする。昨年は年の瀬を迎えても1年を振り返る余裕など全くなかったが、今年は状況が違うようだ。やらなければならないことは山のようにあるが、とにかくこの季節の空気を味わいましょうかという気分になっている。この1年の変化は想像を超えるものがある。

昨日の記事を英語版にも出したが、その過程であることに気付いた。それは、文章中にフランス語の単語やフランス語風綴り (例えば、comment の代わりにcommentaire、あるいはunconscious をinconscious など)が混じってきていること、しかもそれに気付かなかったことである。これらの間違いは英語だけの世界にいた時にはすぐに気付いたはずのことである。その背景には次のようなことがあるようだ。こちらではフランス語世界の中で英語を使っているので、英仏の境が自分の中で消えかかっているのではないか、あるいは、その境を行き来することに、さらに言えばそうすることにより両者の境界が消えてゆくのに快感を覚え始めているのではないかということである。そこから日本語版ブログに注意は移っていった。ここでは脱字、「てにをは」や漢字変換の間違いなどに全く気付かなかったり、同じ言葉を繰り返す癖があることなどが分かってきた。たまに読み返してそのことがわかると、その都度訂正している。こちらの方は少し原因が違っているようにも感じるが、、、


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samedi 26 décembre 2015


英語とフランス語の混同は、これ以後益々頻度を増している

そして、そのことにさらに気付き難くなっている

フランス語が上達しない大きな原因は、それを目指していなかったことにある

そして、英語の時にはあった「その中に入る」という精神運動がないことが挙げられる

つまり、それだけの世界で考え、処理しようとはせず、境界がだらしなく開いているのである

フランス語だけの世界に入ることは、こちらに来て4-5年はやっていたとは思いたいのだが、、

日本語の方も日常的に使う言葉と言うよりは、人工的に組み立てているという感じになっている

そのため、間違いに益々気付き難くなっているようだ





samedi 5 décembre 2015

古い友人との思わぬ再会 Unexpected meeting with my old friend

5 décembre 2008
 
Prof. Gary Koretzky (University of Pennsylvania)


一昨日、研究所でエレベータを待っている時だった。後ろに目をやるとセミナーのポスターがあり、そこで彼のセミナーが今日あることを知る。エレベータがすぐ来ていたら、こうはならなかっただろう。もう10年以上前になるだろうか、彼がアイオワ大学にいる時に共同研究をやり、相互に行き来をしたことがある。彼の専門は免疫担当細胞が外の情報を細胞の中で処理する時に重要となるアダプターと呼ばれる一連の分子で、現在第一線で精力的に研究を進めている。最初に会った時から偉ぶるところはなく、少年のようなナイーブさを持って素直に問題の本質に迫るタイプの研究者で、その姿は涼しげである。彼のことを悪く言う人はいないのではないだろうか。今回のセミナーでも彼の人柄が滲み出ていた。最終的にはヒトの病気の治療に役立つ研究を目指している様子であった。

セミナーの後、やはりアメリカから2週間研究所に滞在していたコネティカット大学のLeo Lefrançois博士のfairwell party があったので参加させていただいた。研究生活の後に哲学をやっている人として紹介していただき、少しだけ話す時間があった。今回の滞在では実験するのではなく、研究所の皆さんとディスカッションをすることに時間を使ったとのことであった。相互の研究のためということもあるだろうが、こちらの若い層とアメリカとの交流という意図もあったのかもしれない。機会があればまた来たい様子であった。彼からは、フランスで哲学をやっているとの話だが、それは一生のことになりますねとの言葉が返ってきていた。

ギャリーから最初に出た質問は、こちらでの生活に満足しているか、ホームシックにはならないかというものだった。精神状態は非常によいし、不思議なことにホームシックにもならないと答えると、彼の口からは 「前にも言ったことがあるが、あなたは私が会った日本人の中で最も日本人らしくない日本人だ (You are the most UNjapanese Japanese that I've ever met. You know that?)」 との言葉が出ていた (英語の確度は不明だが)。あれから10年は過ぎているが、それでもまだこの観察が彼の中では生きているらしい。凄いことである。そして、これから何かまとまりをもった哲学を生み出すことができそうか、との質問も出ていた。また、あなたが来るのを知っていればあなたの仕事の話を出すのだったが、などと気を使ってくれていた。ということで、思いもかけない再会となり、時の流れの綾を味わっていた。


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samedi 26 décembre 2015


コレツキー博士の印象が「最も日本人らしくない日本人」とのことだったが、これも記憶の彼方に去っていた。今改めてこの言葉を読み、あれからさらに7年が経っており、その間フランスという異文化の中にいたので、「日本人らしくなさ」にも磨きがかかって来たのではないかと勝手に想像している。今や「・・・らしさ」を求めること自体、あまり意味がないのではないか。敢えて求めるとすれば、それは「自分らしさ」ということになるだろう。その自分でさえ、定まってそこにあるものではない。自分とは何者なのか、つまり自分の中に何が詰まっているのかを探り続けるのがこの人生ではないだろうか。そうだとすれば、その人間がいる環境が変わることは、その中身を引き出す上で良いことこそあれ、否定的に捉えるべきものではないのではないだろうか。






vendredi 4 décembre 2015

クールの後、リチャード・ブリアン氏のセミナーを聴く

4 décembre 2008
 


今朝も雨の中、朝一番のクールに出かける。今日はなぜか学生さんが3人だけ。ストがあったわけでもないので理由は不明。私も積極的に参加しないわけにはいかない状況になった。今日は20世紀初期の遺伝学の黎明期のお話で、ショウジョウバエを使って大きな貢献をしたトーマス・モーガンの論文をいくつか読む。Scienceに発表された2つ論文は非常に機械的な記述に終始するもの。ひとつは1ページにしか過ぎない。1953年にNatureに発表されたワトソンとクリックの遺伝の物質的基盤に関する論文に見られる "understatement" のことを思い出していた。コロンビア大学に勤めていた彼は、毎夏マサチューセッツにあるウッズホール海洋研究所で研究をしていたようで、この論文はそこから投稿されたことになっている。

それからモーガンの1933年のノーベル賞受賞講演を読むと、遺伝学で問題になる遺伝子がどのように調節されているのかについての可能性が鋭く的確に捉えられているのに驚く。その論理の流れに全く古さを感じなかった。さらに、医学と遺伝学との関係についての考察を読むと、遺伝子に問題のある人を排除するのが将来の医学の仕事になるだろうという考えまで書かれていて、大きな問題が内包されていることを知る。

ナチスによる優生手術は2年間で10万人が対象にされたが、アメリカでも同様の手術が10年程の間に7万人に行われていたという。人間はその知力に関係なくこういうことを考える存在だ、ということだろう。歴史は、状況によって人間がどんなことでも成し得る存在であることを教えてくれる。これからこのような考えが再び生まれないという保証はどこにもない。一度起こったことを自分の中で反芻しておくためにも歴史を学ぶということには大きな意味があるだろう。そんなことを考えながらゼミに参加していた。


午後からは英語の世界になった。アメリカ、ヴァージニア工科大学のブリアン氏が分子生物学は還元主義の色を薄めているか、という問を立て、シドニー・ブレナー氏がモデル動物として確立した線虫についての研究経過をマイクロRNAの発見まで辿りながら考えを発表していた。会場にはパリの科学哲学を代表する主要な方が集まっていて、熱気に包まれていた。文系の発表は自らの論文を読みながらすることが多いが、今日もそうであった。理系ではまず見られない光景だ。

本題に戻ると、遺伝子にはその産物を作るところまでの情報はあるが、それから先を決めることはできない。つまり、タンパク質がどのように振舞うのかまでは遺伝子の支配は及ばず、その場を取り巻く状況に依存することになる。ただその場合でも、現象をどのように解析するのかについては還元主義の色が強く残っているように思う。単に焦点が遺伝子から離れただけではないのかと訊いてみたが、その点には同意していた。そのため軽度に還元主義から離れつつあるという評価にしたとのお話であった。私が求めている全的("holistic")なアプローチは可能になるのだろうか。それはシステム生物学が目指している方向になるとのことであったが、私の眼から見えるとそれにしても還元主義を逃れることはできないように見えるのだが、、。




セミナーの前にこじんまりしているが趣のある英語の本屋さんを見つけた。そこに入るとル・コルビジュエの伝記が飛び込んできた。著者によると、これまでこの芸術家の作品についての本は多数出ているが、まともな伝記は出ていないようだ。写真が何気なくふんだんに使われていてそれだけでも楽しめそうだが、その上読みやすい。また英語の世界からフランスを見るという楽しみもある。

Le Corbusier : A life  by Nicholas Fox Weber

彼に興味を持ったのは、私がこちらに来る前にA氏から届いたメールからである。そのメールによると、私の書いたものを読んでいるとこの芸術家のことを思い出したというのだ。それまで作品は少しは知っていたが、さらに詳しく知ろうという気にはならなかった。A氏の観察以来、もう少し知りたいと思うようになったようだ。

芸術家はその作品で、しかもその作品だけで評価すべきだという見方がある。この見方はある意味ではプロフェショナリズムに根ざしているのだろう。そういう立場に立つと、プロフェショナルと自らが考えているところから離れるとすべてが終わってしまうと考えがちになる。しかし、本当にそうだろうか。この世はプロフェショナリズムだけで成り立っているわけではない。この人生はそんな浅いものではないだろう。・・・そうではないはずだ。彼がどのような人生を送ったのか、どのようなことを考えていたのか。それを知ることによって広がる地平は計り知れないような気がする。科学の歴史を学んでいると同じようなことを感じることがある。それまで平面的にしか見えなかったものに奥行が加わってくるのである。それを知るだけでも生きる意味があるとさえ思えるくらいのものである。大袈裟ではなく、そう感じる今日この頃である。



今日はどっぷりとこの時、この場所に浸ることができた。先日蔵王の山荘にお邪魔した 折、S氏からお土産にいただいたワイン・オープナーに初めてお世話になった。触れ込み通り、ただハンドルを下げて上げるだけで終わりという優れもの。これ からお世話になる機会が増えそうである。



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samedi 26 décembre 2015



モー ガンの論文を読んだ時、頭の中がすっきりするのを感じたことを思い出す。「論理の透徹さ」とでも言うべきものを読み取り、感動に近いものを感じたのだろ う。しかし、その考えには違和感を覚えずにはいられなかったのだ。一見論理的に一貫しているような提示に対しても内から僅かであれ違和感が生まれているのを感じ取った時、どのように対処するのか。それを考えることが重要であることを教えている。つまり、その違和感を自分の中の「出来事」として捉え、それに誠実に向き合うことが必須になるということである。

人間、さらには人類が誤りを繰り返さないという保証はないばかりではなく、最近ではそれは必定であるとさえ思うようになってきた。自らが危機に瀕する時、相手を優先することができるだろうか。そのような状況が生まれた時、殆どの人間の選択は限られてくる。それ以外の道がないことは、歴史が教えている。

この記事で、もう9年ほど前になるル・コルビジュエさんとの繋がりを思い出した。想像だにしていなかった繋がりだったので、心底驚いたのである。いろいろな人の感受性から受ける霊感は計り知れない。







jeudi 3 décembre 2015

パリジャンを連続三日

3 décembre 2008 



午前中、在留証明書をもらうために大使館まで出かける。

エトワールで降りたのはよいが、何を思ったのか反対の方に歩き出していた。

お陰様で冷たい雨の中、 エトワールを一周することになった。

これで三日続けて雨の恵みを受けたことになるが、パリジャンを気取るのもなかなか大変だ。

ただ、こういうハプニングに も淡々と反応しているのは驚きでもある。

デジュネをエトワール近くの明るい雰囲気のレストランで取ってから研究所へ向かった。

研究所では届いたばかりの来週のための論文を読む。

ここに来て、M1でやっていたことがうまい具合に絡み合ってきているように見える。



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 3 décembre 2015


 後段の雨に濡れるところは、自分の中ではお馴染みになっている

前段の位置感覚についても感じることがある

ある場所で降りると、どちらの方角に歩くのか迷うことがある

そのどこかに迷い込んだ感覚を好んでいるところもある

今では想像もできないが、当時は真面目に事に向かっていたことが分かる





mercredi 2 décembre 2015

少し慣れてきたゼミ、そしてある哲学者の死

2 décembre 2008



昨日、今日と二日続けて帰りは雨に遭った。暗いのでどの程度降っているのか分からない。頭に響く音である程度想像はついていたが、車のヘッドライトに照らしだされた雨を見て驚いた。これだけの雨を何とも思わずに歩いている自分は、確かに日本の自分とは違うと言わざるを得ないだろう。

今日のクールにも自分の考えているような準備はできなかった。一応、6時起床で最後の読みをしようとしたが、結局メトロと大学近くのカフェだけで終わった。メトロで論文を抱え考えながら歩いていたせいか、階段を踏み外して前にのめっていた。ご老人で偶に見られる図である。十分に足を上げているつもりがそうなっていなかったようだ。

クールでは次第に全体の流れの中に入ってきているように感じていた。今回は内容もよく理解でき、自己嫌悪もなく自分の意見を発表していた。終わった後、いつものようにカルチエ・ラタンを散策する。もう1年が経っているが、ここに入ると旅行者気分をまだ味わえる。初めてのカフェでデジュネを取ってから研究所に向かった。

今日はクールの復習をしましょうか、という気分になっていた。今までであれば、終わった解放感で全く関係のないことをしていたのだが、少し変わってきているようだ。こうして真面目に見直してみると、M1でよく理解していなかったことなどもよくわかってくる。その後、ネット・サーフしている時に、新しい顔を見せてきた出来事があった。

今年の10月のセミナーでのこと、私も2-3度会ったことがあるその会のオーガナイザーの一人が亡くなったので黙とうをしてから始まった。その時、彼女が自殺したことは知らされていたが詳しくわからなかったので触れなかった。前回そして今日のクールで、機能について重要な研究していた人として彼女の名前が出ていたので調べてみた。そうすると彼女の自殺についての記事が並んでいることがわかった。新聞にも取り上げられたようである。そこで言われていたこと、また彼女の遺書に書かれていたことによると、ブルターニュの大学で1年の仮の採用後、講師としての正式の採用が委員会全員一致で認められなかったことがその一因のようである(もちろん、人が自らの命を絶つその理由は最後まで分からないだろうが)。しかし、その委員会というのは2名しか出ておらず(全会一致とは2/2)、その審議内容も知らされていなかったことなどが明らかになり、これからの人材に対する大学の対応がこれでよいのかというフランスの大学システムが抱える問題として提起する記事が多いことを知る。

実際にどのようなことがあったのかはわからない。ただはっきりしているのは、将来ある哲学者が9月22日、生前好きだったというミッテラン国立図書館近くのシモーヌ・ド・ボーヴォワール橋 (la passerelle Simone de Beauvoir) からセーヌへ身を投げ、遺体が10月初めに見つかったということだけである。享年39。




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2 décembre 2015

 亡くなった方とは、こちらに来てすぐのセミナーでお会いしていた

その時、何を質問したのか思い出さない

思い出すのは、司会の彼女がそれはそんなに問題にならないと言っていたことである

 哲学の問題にはならないという意味だったのだろう

 科学からこの領域に入ったばかりだったので、その意味するところも分からなかったことと思う






mardi 1 décembre 2015

寂聴源氏、そして今日から師走

1er décembre 2008 



昨日は午後から読むべき資料を持って出かけた。雨の中を。寂聴ファンの方から借りた寂聴源氏の文庫本を出がけに手にしたのが運のつき。メトロの中で読んでいるうちに面白くなっていた。サン・ドゥニで降りてカフェで数時間、予定を変更して雨音とガラスを伝う雨粒の動きを偶に眺めながら読むことになった(余談だが、雨粒は生きていた)。潜在する意識の中に 「<a href="http://paulparis.exblog.jp/7607161" target="_blank">日曜に日本語の本を</a>」 を実践しようとする気持ちがあったのかもしれない。
恥かしながら、日本が誇るといわれるこの物語を読むのは初めてになる。以前に川端康成が源氏などは少し真面目に読むと誰でも読めるようになりますよ、というようなことを話しているのを聞き元気が出たことがあり、いずれ原典に当たらねばと考えていた。










その時はなぜか仏訳 Le Dit du Genji を仕入れているが、手つかずのままだ。こういう話題の時には、CP Snow が 「二つの文化」 で出した例を思い出す。文科系の人に熱力学の第二法則は?と聞くと嫌な顔をされるが、それは理系の人にシェークスピアを読んだことがありますかと聞くようなものであるというものだが、日本ではここに源氏物語などが入るのかもしれないなどと考えていた。

ところで読み進んでいるうちに、平安時代の生活の中にある音が印象的に聞こえてきた。それは人工の音が日本に比べると少ないこちらでの生活で、日頃から自然の音を感じていることがあったからかもしれない。それから人間に内在する生々しい感情や時に残酷にも見える他人を観察し評価する目、それらが生み出す複雑な人間関係など、興味が尽きない。おそらく今の日本人にも見られるだろうこれらの営み。出家した身であれば自らの感情を擦り減らすことなく遠くから見ることができるのだろうが、、。訳がドライなためか、読むのにも苦労しない。しばらくは楽しめそうである。




ついに今日から12月に入った。墓場にまっしぐらというくらい時の経つのが速い。まとめるべきミニメモワールもテーマは決まってきたが、未だ手つかずである。さらにM1の2倍は書かなければならないメモワールも待っている。今月はこれらに掛かりっきりになりそうである。




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mardi 1er décembre 2015


今回、改めて1968年10月18日放送の「川端康成氏を囲んで」という放送を観直してみた。

まず、最近では見かけることのない個人の間の礼儀正しい距離感に打たれる。

このような姿勢はいつの間にか失われ、個人の間がだらしなくなっているように見える。

アメリカの影響なのかどうかわからないが、砕けすぎているように見えることが多い。

幼くなり、個人として対するという相手に対する真剣さや敬意が消えているのではないだろうか。

恰もそれが良いことのように。

 

今年も最後の月に足を踏み入れたことになる。

当時はミニメモワールを意識していた様子が伝わってくる。

同じく7年後の今日は学生生活の総仕上げとも言えるスートゥナンスが来週に迫っている。

大変な段階に入っている。

これがどうように終わるのか、全く分からない。


川端氏の仕事振りについて三島由紀夫氏が解説していたのを聞き、一つの考えが巡っていた。

何かに向かう時、やたらと騒ぎ立てるのは余り美しいことではないというものである。

大変だとか、やる気にまだならないとか、苦しみの結果終えることができたなどということである。

孤独の中で苦しんで書いているだろう川端氏もそれは当然と言わんばかりに涼しい顔をしている。

書くことを仕事にしている人にとって、これは一つの美学になるのだろうか。









dimanche 29 novembre 2015

ある週末

30 novembre 2008
 


ある週末、夜のカルチエ・ラタンを散策する

昼間とは全く違った姿を現わす

久しぶりにその中に身を委ねてみようという気になる

入ってくるものの中に自らと振れ合うものを見出す時、ある喜びが訪れる

満たされたひと時となった


 







この日曜の朝、Magnum 制作のクリップで青春の一頁を覗き見る
 
    "Pop Sixties"  






日常の中の非日常に身を置くと

28 novembre 2008



昨日は睡眠不足で疲れていたのか早めに床に就いた。

そのためか今朝は3時に目が覚めていた。

最近の傾向として、一度目が覚めると再び眠ろうとは思わなくなっている。

以前のように睡眠時間を確保するために眠り続けましょうとはならない。

そういう時に起きると普段気付かないことに気付いたり、思いもしないことが浮かんでくるからだ。

ある意味では何ということはない日常に顔を出す非日常に身を置くことになるからだろうか。

2年前の時差ボケの早朝のこと。
 
私が今抱えているような問題について考える生活に入ってみましょうかなどという想いが浮かんだ。

大げさに言うと決意という形で。

今回も再び寝ようという気にはならず。

ノートやパソコンの中のデータを眺めている時にある考えが浮かんできた。

それはひとつの方向を示すもので、その意味では決意と言えるものかもしれない。

何気ない繰り返しの中からは決意という次元を変えるような心の動きはなかなか現れない。

どんな些細な日常からの逸脱であれ、そこに入った時にそれが顔を出すようだ。



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dimanche 29 novembre 2015

この記事には、こちらに来てからのライフスタイルの芽が書かれてある。

考えることが仕事なり、定時にどこかに行く必要がなくなると、これまでの枠を考えなくても良くなる。

そこにある種の自由がある。

目覚めた時がその日の始まりで、眠くなった時がその日の終わりである。

ただ、実際には眠さも無視して起きていることは稀ではなかったのだが、、。

 
それから、非日常の時間に入った時に何かが現れるということも何度か経験している。

それは何気ない日常に入った亀裂であるため、そこで改めてものを見ようとするのだろう。

それが新しい道に繋がることがある。

それはまさに人生の創造と言っても良いことだろう。





vendredi 27 novembre 2015

メトロのホームも我が書斎?

27 novembre 2008



クールの帰り、丘の上の広場のレストランに入る。

デジュネをそこでとることにした。

なぜか少しだけ贅沢になっているようだ。

座り心地の良い椅子に落ち着き、少し暗めの室内から道行く人の流れを楽しみながら時を過ごす。

どこかにノエルの季節を感じているように見えるのは気のせいだろうか。

2時間ほどしてからそこを出てメトロに向かう。

その道が曲がりくねった下り坂なのが気持ちが良い。

すぐに帰るには早いので周りを見回すと小さなワインバーがある。

中に入る とジャズが流れていて、たまに生演奏もあるようだ。

そこで数時間、昨日買ったばかりの本を読む。


帰りのメトロは混んでいる。

それなら空いたのが来るまでホームで本でも読み続けましょうか。

私にとっては予想もできない行動に出ていた。

とにかく日本では考えも及ばないことである。

こういう時、自らの姿 がホームを住まいとしている人と重なるのだ。



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27 novembre 2015

 この日の最初のレストランは覚えているが、その後のワインバーは記憶の彼方だ

日本にいる時には、電車を待ちましょうなどと考えたことはなかった

こちらではこの時以来、ごく普通のオプションになっている

そして、その時に感じたホームを住まいとしている人と重なるという感覚

これはさらに、古代の哲学者ディオゲネスのライフスタイルと重なることになった





jeudi 26 novembre 2015

クールのある日の楽しみ

25 novembre 2008



昨日はコートなしで出かけたが、研究所からの帰りに冷たい雨に打たれた。
 
今朝の白みかけた空は雨とは縁がなさそうだ。
 
クールに向うためアパルトマンを出る時、いつものように軽い緊張感が襲う。
 
今では新鮮な気持で一日を始めるのになくてはならない感覚になっている。

 
部屋に入り、皆さんと挨拶を交わし雑談するのもその日の準備運動のようになってきた。
 
今日の話は少々込み入っていたようで、来週もう一度詳しくやることになった。
 
それにしても終わった後に変わらず訪れてくれる解放感には何とも言えないものがある。
 
その感覚のままカルチエ・ラタンを当てもなく散策する。
 
完全に根がなくなり、どこか別の世界に迷い込んだようになるから不思議だ。
 
その浮遊感を楽しんでから研究所へ向かった。



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26 novembre 2015

マスターの時に感じていた朝大学に向かう時の緊張感

先日、朝早く大学近くに向かった時にその感覚を思い出した

随分と長い間忘れていたものだ

特に、ドクター3年目辺りからは学生としての生活から離れて行ったように記憶している

それから、以前にも触れているが、クールが終わった後のカルチエ・ラタンの特別な雰囲気

今でもその感じは蘇るが、当時はより強烈だったのではないだろうか

 



mardi 24 novembre 2015

ニーチェの言葉から

24 novembre 2008


昨日の午後、霙まじりの中、街に出かける。 メトロでは、外国人の家族4人が左右の席に座る。 母親はボウイナイフのようなもので肉の塊を切り、家族に与えている。小学生くらいの長男に車内を回らせている。次の駅でその彼は別の車両に移っていった。

場末の雰囲気のあるカフェで数時間、一般向けの哲学の入門書を読む。言っていることがよくわかるようになっている。ただ、哲学とは言葉だけではないはずだ。問題はそれを生きることができるかどうかだろう。さらに寒い雨の中、ウィフィの使えるところに移動して小一時間。そこで遅いデジュネをとる。


今日は、以前に読んだシュテファン・ツヴァイクの本からニーチェの言葉を少しだけ。

"Récolter la plus grand jouissance de l'existence, c'est vivre dangereusement."
(人間存在の最大の悦びを収穫すること、それは危険に生きることだ)

amor fati, "la formule de la grandeur de l'homme"
(運命を愛すること:「人間の偉大さのフォルミュール」)

"Ô vonlonté de mon âme, que j'appelle destin, tois qui es en moi, tois qui es au-dessus de moi, conserve-moi et préserve-moi pour un grand destin."
(おお、私が運命と言うところのわが精神の意志よ。私の中にある君、私の上にある君、偉大なる運命のために私を保ち、守り給え)

"Ce qui ne me tue pas, me rend plus fort."
(私を殺さないものは、私をより強くする)

"Ce qui importe, c'est l'éternelle vivacité et non pas la vie éternelle."
(重要なことは、永遠の生ではなく、永遠の活力である)

"Il n'y a pour toi qu'une seul commandement : sois pur."
(君にとっての戒律は一つしかない。純粋であれ)

"Être grand, c'est donner une direction."
(偉大であること、それは方向を示すことだ)





沈潜する

23 novembre 2008



こちらに戻ってきて、ほぼ一週間が経とうとしている。

この間、外の世界から内の世界へと移行してきているのがはっきりとわかる。

それまでやや賑やかな地上に上がっていたのが、静かに海の中へでも沈んでいくかのようである。

精神の焦点がこれまでのところに戻ってきたようでもある。

こういう時、中学時代に覚えて しばらく気に入っていたこの言葉が浮かび上がってくる。

思えば、この言葉も長い間どこかに沈んでいた。

しかし、忘却の彼方へとは消えるところまでは行っていなかったようだ。

一年目の生活をとにかく終えることができ、ここ数カ月は解放感のようなものを楽しんでいた。

二年目の課題にもそろそろ取り掛かろうかという気分が生まれてきている。

沈潜という言葉が浮かび上がると同時に。

日本の私から見ると、パリでの生活全体が沈潜の状態にあるのかも知れな い。



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mardi 24 novembre 2015

この記事にあるような観察が、早い時期に生まれていたことに驚く

このところ、こちらの生活を総括する気分になることが多い

パリ生活の全体が内的生活のように見えるというのは、総括の一つの大きな柱になるだろう

つまり、こちらでの生活が内的生活への道を開いてくれたとも言える






dimanche 22 novembre 2015

フランス語で生物の哲学をやるということ、あるいは科学哲学者の役割

22 novembre 2008


昨日のセミナーの演者はイギリスの方なので英語で話し、当然のことながら質疑応答も英語で行われていた。その話を聞きながらいろいろな考えが巡っていた。科学哲学の中には生物学の哲学があるが、この領域はアングロサクソンが優勢のようである。最近出されたアンソロジーの中でも大陸の哲学者は英語圏の哲学にあまり大きな影響を与えていないので著者から除いたとはっきり書かれてある。1年余りの経験でしかないが、英語圏では生物学の中に入り込み、その学問を学び、その上で理論を作り出そうという姿勢が見られるのを強く感じてきた。その意味では科学の一分野と変わらない印象がある。それに対して、フランスの場合にはその伝統から来るのだとは思うが、科学に歴史を絡めて語るところがあるので文系の要素が色濃く表れている。科学(者)に対して深いところで影響を及ぼすことはあるだろうが、科学の進行に対して直接的な効果は少ないだろう。科学の分野に長く身を置いた身としてはそこが魅力になっている。

しかしこれから生物の哲学を本格的にやろうという方の場合には、科学の領域がそうであるようにどうしても英語で発表しなければならない状況にあるようだ。一つにはこの領域の主戦場が英語圏にあると見えるからである。これはどうしようもない現実のようである。M2になり英語の文献が増えてきていることもそれを表しているのかもしれない。昨日のやり取りを聞きながら、この分野でのフランスの存在感が薄く感じられるのはそのスタイルもあるだろうが言葉の問題も大きいような気がしていた。その意味では想像される日本の状況とも変わりないように見える。ただ、フランスの持つ歴史や伝統、それからこの分野に対する極自然な距離感のようなものは大きく違うのだろう。

現時点で考えている科学哲学者の役割としては、実際の科学の中に入り込み、そこで気がついた疑問や新たな理論的枠組みを提示し、その上で科学者を刺激するような歴史的、哲学的考察を加え、科学の活動を生き生きとしたものとし、より深い自然の理解に導くことができれば理想的だろう。つまり、科学の側も哲学の側も自らの土俵に留まって語っているだけでは未来はなく、どこかで対面する必要があるということになる。その意味でも先日の日本での発表は私にとっては大きな一歩になったようである。



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dimanche 22 novembre 2015


言葉の問題は母国語の中にいると気付かないが、一旦外に出ると深刻な問題になる。こちらに来た当初はフランス語の中に浸っていた。何とか慣れようとしていたのだろう。フランス語を始めたのが遅く、しかもそれほど時間が経っていなかったため、いつも自分の体から出ているものではないように感じていたからだ。話をする時はパズルのピースを組み合わせるように文章を作る。どこか別世界にあるものを引っ張り出すという感じだったからである。  

このような時期が5年くらい続いただろうか。その間は恰も繭の中にいるように快適であった。ところが、アングロサクソンの世界に出るとそこは外気に晒される世界のようで、昔アメリカで生活していた時の感覚が蘇って来た。夢の世界から現実の世界に引き戻されるという感じだろうか。それは日本に落ち着いた時にも感じたことではあるのだが。この経験以来、次第に英語が頭の中に侵入し始めたのである。  

この記事で観察しているフランスとアングロサクソンの科学哲学の特徴は、それほど間違っていないのではないかと今でも思っている。ただ、わたしの場合にはこの道で身を立てる訳ではない。自分の感覚に合うもの、自分が求めるものを求めたいと思っているので、フランス的なものには捨て難いものがある。このところ英語でやっていたので、これからフランス語を真面目に学び直さなければならないと改めて思っている。  

それから哲学と科学の関係についても、両者が離れている状況は決して望ましいものではないだろう。哲学の方は科学を見ているが、科学が哲学を見ることは現代では殆どない。現場の科学が細分化され、生存のためのプレッシャーも増していると想像されるため、目が届く範囲が非常に狭くなっている。そこに哲学が入り込むのは至難の業である。ただ、わたしのような立場の科学者が増え、現場の科学を少し離れて眺めた時間軸も長い話が科学者にも届くようになると、状況は少しずつ変わって行くのではないだろうか。この方向性はこれからのミッションのようなものになりそうである。